2009年12月15日

................................................................................撮影:睦寄町 光明寺
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本堂の前で記念撮影する「写経の会」の参加者とスタッフ

(前回の続き)
釈迦の思想の核心の部分に、この「空」という表現不能の空白の領域がある。インド数学の最大の功績は「ゼロ」という概念を提出したこと。「空」は「ゼロ」という概念とつながるもので、言葉にならない真理、キーワードを合えて言葉にしたのが「空(シューニャ)」という概念。釈迦の教えの集大成が、玄奘三蔵が翻訳した六百巻の「大般若経」であり、エッセンスが「般若心経」の262文字だという。

釈迦がスタートさせた初期仏教の核心部分の基本原理は十二縁起、四聖諦、八正道、五蘊。ここらあたりまでが釈迦のオリジナルで、大乗仏教に入ってから重要になるのが六派羅蜜多。縁起と言うのは「因縁生起」の略で、原因があって結果がある。その十二の根本原因を断てば一切の苦悩から開放され、楽になる。その十二の段階とは、①無明、②行、③識、④名色、⑤六入、⑥触、⑦受、⑧渇愛、⑨取、⑩有、⑪生、⑫老死。無明とは、世界の本質が「空」であるということを知らないということ。四聖諦とは・・・・。

これらの真理も頭だけでなく、身体でわからないといけない。わかるという感動を得る方法論が六波羅蜜多。六波羅蜜多とは①布施、②持戒、③忍辱、④精進、⑤禅定、⑥般若・・・。釈迦の教えは、カースト制度の中で発達したバラモン教の「輪廻」という世界観を完全に乗り越え、王侯貴族や一般民衆の指示を得てガンジス川流域で広まった。

煩悩にとらわれず、欲望に負けないよう質素に生きなければならないけれども禁欲することにこだわったり形式にとらわれたりするのもよくない。中ぐらいのところで穏やかに生きる。とらわれてはいけない。こだわってはいけない。これが一般庶民にとっての「空」の意味だという。詳しくは、三田誠広著「般若心経の謎を解く」を読んで理解してほしい。(おわり)

投稿者 ryokudo : 10:58 | コメント (0)

写経の会(No.2)

................................................................................撮影:睦寄町 光明寺
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写経の後、楳林和尚の話に耳を傾ける参加者

<般若心経 一口メモ>  (前回の続き)
君尾山光明寺での「写経の会」にちなんで、日本仏教の多くの宗派が採用している262文字の経典「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時・・・・」で始まる「般若心経」を考えてみたい。一知半解と紙面不足による言葉足らずはご容赦願いたい。(参考文献:三田誠広著「般若心経の謎を解く」)

般若心経は、釈迦没後5百年を経て起った宗教改革によって誕生した大乗仏教の経典で、西遊記で登場する玄奘三蔵法師(七世紀)が心を込めて翻訳したもの。ここには釈迦の直接の言葉ではないが、仏教の最も奥深い原理がコンパクトに表現されているという。

大乗仏教は、釈迦の言葉を守っているはずの既存の仏教(小乗仏教or前座部仏教)が形骸化し、形式主義に陥っていることの批判から生まれ、そこで生まれた経典には妙法蓮華経、阿弥陀経、般若経、維魔経など現在の日本仏教の経典は全てこの時代に書かれたもの。このお経にでてくる舎利子は釈迦の一番弟子で、2回も出てくるのはそれだけ小乗仏教批判の気持ちが込められているのだという。

観自在菩薩が般若波羅蜜多の修業をしている時、五蘊がすべて空であることを見抜いて、一切の苦しみから離れることができた。舎利子よ。「色」は「空」と異なるものではない。「空」は「色」と異なるものでもない。すなわち「色」は「空」であり、「空」は「色」だ。「受」「想」「行」「識」も同様である。舎利子よ。さまざまな「法」は「空」という性質をもっている。「不生不滅」であり、「不垢不浄」である・・・・。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 10:50 | コメント (0)

2009年11月22日

写経の会(No.1)

.............................................................................撮影:睦寄町 光明寺
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太陽の光を明かりに、熱心に筆を走らせる参加者

秋晴れに恵まれた11月5日、君尾山光明寺の本堂において第5回「写経の会」が開催され、各地から参加した12人の参加者は熱心に筆を走らせた。これは、あやべ温泉など上林に点在する6施設を運営する(株)緑土(矢野正彦代表)が10周年記念行事の一つとして主催している。

テキストは、「般若波羅蜜多・・・・・」で始まるたった262文字のお経「般若心経」。本尊である千手観音の前に香をたき、木製の大きな扉を開けて太陽の光を取り入れた窓際で行う。冷ややかな晩秋の風が頬を撫でる何とも心地よい本堂である。写経をとおして仏と向き合うわけだから集中できる静かな環境を提供するのは開催責任者である桑谷支配人の演出でもある。

写経は古来からの約束事で、1行17文字で構成されており、本文の262文字を1時間ほどかけて筆を走らせ、最後に奥題と日付、名前を書いて仕上げる。書き上げた写経はまとめて光明寺へ奉納する予定だという。継続することで集中力と忍耐力がつき、心が清浄になって安心の境地が得られ、自然の治癒力が向上するとも云われる。

写経といえば、数年前に亡くなられた睦寄町鳥垣の熊内正義さんを思い出す。18年かけて3万枚を書き上げ、1万枚ごとの区切りの写経が八津合町の上林禅寺に奉納されている。2~3千枚は苦にならないが、1万枚を書き上げるにはかなりの根気がいると云われる。筆者もあやべ温泉の売店で写経の手本と用紙を購入しているが着手すらできていない。来年は、この「写経の会」に入門し、少しは仏の教えを学ばなければと思う。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 08:26 | コメント (0)

2009年11月16日

こんぴらさん(建田宝永講)

...............................................................................撮影:口上林 武吉町
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沢山の参拝者で賑わう坂田家の金毘羅講

秋晴れに恵まれた11月8日(日)、口上林武吉町坂田光生さんの家において「こんぴらさん(建田宝永講)」が行われ、市内外から大勢の参拝客で賑わった。「こんぴらさん」は、口上林の武吉町、佃町、忠町の三町区を毎年輪番で回り、講元の家で1年間ご神体をお祀りするという全国的にも非常に珍しい形で引き継がれている神事である。

今から300年前、時の藩の圧政に耐えられず、武吉、佃、忠の三ヶ村の村民がその窮状を打破するにあたって江戸幕府に実情を直接訴えるため当時、唯一集まりが許されていた神仏の崇敬講の金比羅講の名のもとに集い、三名の若者を代表に選び直訴の決行を決めた。直訴には於与岐村の幇家吉崎家から旅費の供与を得ると同時に、出国直後には迫る追っ手から逃れ、逃げ込んだ和知村大簾の人々の協力を受け、また、道中数々の幸運にも恵まれ、極めて困難な直訴が奇跡的に成功した。

直訴を成し遂げた三人の帰りを迎える村人達は国境の峠、いなば坂まで出迎え、その労をねぎらうため大根、柚子、唐辛子の生切れの肴で心尽くしの宴をひらいた。そして、藩の追及の手が若者たちに及ぶことを恐れ、地元に帰ることなく潜伏して生活することを断腸の思いで伝えると同時に、三人の偉業を子々孫々に至るまで顕彰し、合わせて神のご加護に感謝するため、以後1,000年間「金比羅講」を続けることを約束したという。(参考資料:建田宝永講「こんぴらさんのお話」)

民主主義が発達し、政治体制が進んだ現在では、考えられないようなことではあるが、三人の若者が命がけで成し得た行為は勿論、若者たちとの約束を300年経った今も、忘れずに引き継いでいる三ヶ村の人たちに頭が下がる思いである。

投稿者 ryokudo : 08:31 | コメント (0)

2009年10月31日

河牟奈備神社1300年祭

.....................................................................撮影:口上林 名畑町 大宮
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久保宮司により1300年祭の儀式が行われた河牟奈備神社

今、上林のあちこちの神社で五穀豊穣などを祈願して秋祭が行われている。ここ、口上林名畑町大宮にある河牟奈備(かむなび)神社では、10月12日の晴天に恵まれた秋空の下、創建1300年祭が盛大に開催された。

きれいに清掃された境内で大勢の参拝者が見守る中、四方市長など多数の来賓を招いて開催され、久保宮司により厳かに祭事が進められた。式典の後、氏子総代の永井忠之さんは「子供たちが、道路から神社に向かって会釈してくれているのを見るとたいへん嬉しい。是非、次の世代に受継いで行きたい」と挨拶されていた。

綾部市内にある97神社の内、式内社といわれる神社は12社ある。近隣では唯一の式内社である河牟奈備神社は第43代孝明天皇の和銅2年(709)に創建され、天下春命(あめのしたはるのみこと)を祭神として伊根町を中心とした八ヶ村の氏神で、鎮座地は今も大宮と呼ばれている。

神社は、神道の信仰に基づいて作られた恒設の祭祀施設。昭和21年に創設された伊勢神宮を本宮とする神社本庁には8万社の神社が登録され、そこには八百万の神々が祀られている。万葉集と出雲国風土記には「かんなび」で神を祀ることがみられるが、「かんなび」とは神のなばるところ、神のおられる神聖なところとみられ、神聖な場、森、山などをさしての語であるという。名畑町大宮の河牟奈備(かむなび)山の麓にある河牟奈備神社の名称の由来と関わりがあるのかも・・・・。(参考文献:日本大百科全書)

投稿者 ryokudo : 15:11 | コメント (0)

2009年10月17日

上林の合同体育祭

.............................................................................撮影:中上林 八津合町
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渾身の力をこめて綱引きをする奥上林チーム(黄色)

秋晴れに恵まれた10月11日の日曜日、奥・中上林の合同体育祭が上林中学校で行われ、参加者は2年ぶりのグラウンドで自慢の足を競い合った。これは、5年前に奥上林小学校が廃校となった後に新設された奥・中上林地域振興協議会が2年に1回合同主催するもので、今年で第3回目を迎えた。

小・中学校の生徒と大人を交えた合同体育祭は、午前中18競技、午後は9競技が行われ、地区別に編成された参加4チームが得点競技6種目の合計点で順位を決める。奥上林チーム(黄色)と五津合・五泉チーム(赤色)が優勝を争ったが、最後は綱引き(写真)とリレー競技で差をつけた赤色チームが2連覇を達成した。

丁度、奥上林小学校が廃校となった5年前にJターン帰郷した筆者も、いまでは公民館と自治活動に奔走の日々である。毎月7~9回の会合と行事を行いながら、この体育祭も事前準備やテント設営、終了後の片付け、そして、温泉勤務と大忙し。その合間を縫って、カメラマンとして写真撮影を行って主催者へ提供したり、休日などを利用してブログ取材や原稿を書いたりしている。

21世紀は田舎の時代とも言われるが、急激な工業化で都市に集中した人口が田舎へ戻ってくるのは何時になるだろう。過疎と少子高齢化が進む中、そこに住む住民にとっては日々が真剣勝負でもある。次世代を担う若者たちの声が、子供たちのはしゃぐ声が聞こえる日が来ることを信じながら・・・・。

投稿者 ryokudo : 17:33 | コメント (0)