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2005年10月31日

秋祭り

撮影:奥上林 睦寄町
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収穫を祝う坂尾呂神社の秋祭り。上林の村々では、ぞれぞれの神社で笛や太鼓の音に合わせて氏子達が神輿を担ぎ村々を練歩く。この神輿は、1トン近くもある重いものであり大人20人でやっと担いでいる。筆者も一度は参加したいと思っているが、最後まで担ぎきる自信がないため決断できないでいる。

坂尾呂神社は、須佐乃男尊を祭神とし、地域の人々の心のよりどころとして長い歴史を重ねている。本殿の周りには樹齢数百年の大きな杉の木が何本かあり、境内は昼間でも薄暗い。秋祭りの前には8つの村の氏子達が集まって神社の境内をきれいに清掃し、祭りの準備を行う。

過疎化、少子高齢化の時代の流れの中、このような行事をとおして8つの村々が協力しながら相互に助け合い、若者達を中心として連帯感を育んでいる。

<祭り一口メモ>
古来、祭りは正月と共に地域の最大行事であり、老いも若きも指折り数えてその日を来るのを待ちこがれた。常日頃おさえつけられた民衆は、この日に1年の憂さを晴らし、快くない庄屋や役人の家へ神輿をかつぎこんで暴れたりした。また、若い人々にとっては男女交際を許された日であり、村人をあげて祭りを楽しんだという。

投稿者 ryokudo : 14:41 | コメント (0)

2005年10月29日

ゴルフ仲間

                撮影:福知山カントリー倶楽部
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 10月のある日、福知山カントリー倶楽部の1番ホールに、奥上林のゴルフ仲間が集合した。筆者は、8月に続いて2回目の参加であるが、天候にも恵まれ楽しい1日を過ごすことができた。

 このコンペは、3年前から始まり今回で14回目になる。ゴルフ好きの集まりでもあり、ルールに厳しくプレーもスピーディーだ。和気藹々の中にも真剣なプレーが目立ち、一緒にまわっていてとても気持ちがよい。

 リーダーの仲居文夫さんは、先日、79で回ったとのこと。夢の70台は初めてとのことだがとても上手だ。プレーでも、チームのまとめ役としても欠かせない存在である。

 プレーの後は、奥上林へ帰り、行き付けの「里の駅」でジョッキを傾けながらのゴルフ談義と表彰式、そして、最後はカラオケで自慢の喉を披露する。共通の趣味をとおし、楽しみを共有する中で相互理解が深まり、気さくな人間関係が育まれる。ここにも、また、上林のチカラがあることを感じた。

 <ゴルフ一口メモ> 19番ホール
 「100を切りないゴルファーはゴルフを粗末にする。90を切るゴルファーは家庭を粗末にする。80を切るゴルファーは仕事を粗末にする」との言葉にもあるとおり、ゴルフはそれ程おもしろいスポーツである。

投稿者 ryokudo : 15:14 | コメント (0)

2005年10月27日

丹波綾部自動車道

                             撮影:口上林 旭町
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 府道1号線の上を工事中の橋梁が跨ぐ。来年2月の開通を目指して、全長1.9kmの丹波綾部道路横谷トンネル工事が進められている。これは、京都縦貫道の丹波町~綾部間のごく一部ではあるが、全線が開通すると京都から宮津までが高速道路で繋がることになる。

 この道路ができると、京都からの運転時間は大幅に短縮され、快適な高速ドライブを楽しみながらあやべ温泉にも来ることができる。また、綾部JCでは、近畿自動車道敦賀線とも繋がり日本海沿岸と内陸部との交流は飛躍的に発展することが期待できる。

 合わせて、府道1号線の拡張工事も所々で進められており、狭くて曲りくねった道路も随分走りやすくなり、歩道も整備されて子供達も安心して通学できる道になってきた。上林は勿論、京都北部の人々は京都縦貫道の全線開通に大きな期待を寄せている。


投稿者 ryokudo : 15:22 | コメント (0)

2005年10月22日

森林整備地域活動

                         撮影:奥上林 睦寄町
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 10月のある日、山の持主を中心に、人工林などの森林保全を目的とした山道の草刈りを行った。あやべ温泉から奥へ約1kmの間の草や木が生えこんで、まともには歩けそうもない山道の整備である。

 林野庁が進める「森林整備地域活動支援交付金制度」の活用で4年目を迎えた。人工林の間伐や枝打ちといった造林事業を行うための現況調査や歩道整備などに交付金を支給する制度である。

 森林法に基づく施業計画の認定を受けた30㌶以上の民有林のうち、35年以下の人工林を対象として5年間継続して活動すると、1㌶に1万円の交付金が支給される。国内産材の価格低迷などで人工林が放置され山林の荒廃が危ぶまれる中、このような制度でもないと山には入らないのが現状である。

 農林業を主体としたこの地方では、自治会が中心となって行う共同作業が多くあり、これらの活動を通して住民の連帯感が育まれる。勿論、この後は、焼肉での慰労パーテー、ここでも連帯感が育まれた。

投稿者 ryokudo : 15:54 | コメント (0)

セイタカアワダチソウ

                         撮影:中上林 八津合町
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 今年もセイタカアワダチソウが咲き誇る時期になった。上林中学校近くの使われていない田んぼの中には、鮮やかな黄色をしたセイタカアワダチソウが群生している。

 この植物、北アメリカ原産の帰化植物で、明治時代に観賞用に移入されている。戦後、急激にその生息域を広げ、鉱山の閉山期やベトナム戦争時にすさまじい繁殖力で増え続け、閉山草やベトナム草と呼ばれ嫌われたという。

 長い間、花粉アレルギーを起こす植物とされてきたが、現在では虫媒花であり、風を媒介して受粉する花ではないため関係ないとする説が有力だそうだ。

 どちらにしても、畑や田んぼなどの耕作地にはあまり生えないため、人間生活にはそれほど大きな影響はなさそうだが、根や茎からアレロパシー物質を分泌し、新たな植物の進入を阻害して大群生を形成するため、在来種にはあまり好かれる植物ではなさそうである。

投稿者 ryokudo : 15:10 | コメント (0)

2005年10月13日

体育祭

                             撮影:上林中学校
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 ボールを抱えて全力で走っているが、もちろんラクビーではない。運動会では定番のメデシングという団体競技だ。

 今年も運動会の季節、奥上林と中上林がはじめて合同での開催となり、小学生から年配の方までの老若男女が一堂に集い、初秋の一日を楽しんだ。特に奥上林は、今年の3月に132年間続いた小学校が廃校となり、中上林小学校に統合されたことで単独開催ができにくい事情もあって、一際感慨深いものがある。

 小学校がなくなりJAや郵便局もなくなった。地域を移動する公共交通機関もない。次世代を担う後継者も極めて少なく、過疎化と少子高齢化は津波のように押し寄せてきた。日本の山村のどこにでもある時代の流れではありますが、そこに住む人達にとっては切実なものがある。

 そんな中で、中上林との合同開催は新たな時代の始まりでもある。小/中学校を中心として2つの地域の交流が今後ますます活発になり、次世代を担う元気な子供たちが育ち、そして、高齢者にとっても安心して生活できる上林になることを望むばかりだ。

 

投稿者 ryokudo : 09:37 | コメント (0)

トチの実

                            撮影:睦寄町 古屋 
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秋の味覚3品を揃った。良く熟れて甘そうな柿、大きな丹波栗、もう1つは何かご存知でしょうか。栗と良く似ているが、これが今日の主役『トチの実』だ。

古屋の細見 弘さんのお宅を訪ね、トチの実についていろいろと教えてもらった。『トチの実』は人里離れた山奥の、水気の多い山の、谷の部分にある樹齢数百年のトチの木になっているそうだ。

この実を加工して餅米と混ぜ合わせてトチ餅ができる。その昔、これがないと正月が迎えられないんだと云われる方もおられたそうで、トチの木のある山の持ち主は季節になると競って収穫され、よい現金収入になったと云う。

筆者も、少し苦味があって独特の香りのするトチ餅が大好きだ。奥上林の古屋にはトチの木が沢山あるが、最近は殆ど鹿が食べるので収穫は少ないとのこと。あやべ温泉では2種類のトチ餅を販売している。ご来店の際はぜひ食べてみてほしい。

投稿者 ryokudo : 08:39 | コメント (0)

2005年10月03日

実りの秋

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 秋の一日、あやべ温泉の先輩お二人に、我が家の畑へサツマイモ堀に来てもらった。使い馴れない鍬やスコップを使って、芋を傷つけないようにしながら何とかごらんのとおりの大きくて、美味しそうなサツマイモを掘り起こすことができた。大満足の笑顔がとても印象的だ。きっと、今晩はサツマイモ料理が食卓を飾ることでしょう。

<サツマイモ一口メモ>
 甘藷、唐芋、琉球芋、薩摩芋とそれぞれの土地で名前を変えながら伝わって来たサツマイモ。江戸時代 8代将軍吉宗の命を受け、蘭学者の青木昆陽によって全国に広められました。 この時期、庶民や農民にとって非常に苦しい時代で、大商人による米相場の操作、度重なる飢饉や蝗害が、民衆による米問屋襲撃、農民一揆などの事件を引き起こした。

 昆陽は、世の中の窮状を少しでも変えようと下総馬加村(千葉市幕張)の痩せた土地で苦労の末、甘藷栽培を成功させた。この40年後、昆陽没後10年後に天明の大飢饉が起き、津軽藩だけでも13万人の餓死者・疫病死者を数えたという。また、天明3年から4年の間に全国で何万人という数知れない人が餓死したそうだ。

 しかし、この大飢饉にもかかわらず、馬加村では一人の餓死者も出さなかったといわれている。いつの頃からか、昆陽は『芋神さま』と敬われるようになり、『芋神さま』をまつる昆陽神社が建立されているそうだ。 

投稿者 ryokudo : 19:53 | コメント (0)