2005年10月03日
実りの秋

秋の一日、あやべ温泉の先輩お二人に、我が家の畑へサツマイモ堀に来てもらった。使い馴れない鍬やスコップを使って、芋を傷つけないようにしながら何とかごらんのとおりの大きくて、美味しそうなサツマイモを掘り起こすことができた。大満足の笑顔がとても印象的だ。きっと、今晩はサツマイモ料理が食卓を飾ることでしょう。
<サツマイモ一口メモ>
甘藷、唐芋、琉球芋、薩摩芋とそれぞれの土地で名前を変えながら伝わって来たサツマイモ。江戸時代 8代将軍吉宗の命を受け、蘭学者の青木昆陽によって全国に広められました。 この時期、庶民や農民にとって非常に苦しい時代で、大商人による米相場の操作、度重なる飢饉や蝗害が、民衆による米問屋襲撃、農民一揆などの事件を引き起こした。
昆陽は、世の中の窮状を少しでも変えようと下総馬加村(千葉市幕張)の痩せた土地で苦労の末、甘藷栽培を成功させた。この40年後、昆陽没後10年後に天明の大飢饉が起き、津軽藩だけでも13万人の餓死者・疫病死者を数えたという。また、天明3年から4年の間に全国で何万人という数知れない人が餓死したそうだ。
しかし、この大飢饉にもかかわらず、馬加村では一人の餓死者も出さなかったといわれている。いつの頃からか、昆陽は『芋神さま』と敬われるようになり、『芋神さま』をまつる昆陽神社が建立されているそうだ。
投稿者 ryokudo : 2005年10月03日 19:53