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2006年01月26日
光明寺 (No.2)

<仏教一口メモ> 前回の続きです。
ご存知のとおり、仏教は、2500年前インド釈迦族の王子である釈尊の教えである。当時の教えは解脱(悟り)。漢の時代、中国に伝わりやがて、百済の聖明王から538年、聖徳太子の祖父である欽明天皇の時に日本に入ってきた。
平安京を開いた桓武天皇は、大仏を擁した平城京とその仏教を捨て、新たに最澄や空海を中国に派遣して仏教を学ばせた。特に延暦寺は、平安京の鬼門(東北)に位置することから桓武天皇の大いなる庇護を受けたそうだ。
鎌倉時代に入り法然、栄西、明恵、親鸞、導元、日蓮、一遍などの新仏教の開祖たちがキラ星のごとく誕生し「人民の救済」としての教えは大いに広まった。江戸時代に、徳川家康は生きるための教えを儒教におき、仏教は死者(仏)の供養のためのものとした。
そして明治に入り、政府が「僧が妻子を持つ」ことを許し、寺の世襲制が定着したことにより、仏教の権威はますます低下してしまったという。2500年後の今、釈尊の教えはこれから先、何処に向かって進むのだろう。
投稿者 ryokudo : 15:01 | コメント (0)
2006年01月23日
光明寺 (No.1)
あやべ温泉から北へ約2km、推古天皇7年(599)聖徳太子が建立したという真言宗醍醐派に属する古刹、君尾山光明寺がある。光明寺が最も栄えたのは平安から鎌倉にかけての時代で上林7里の谷を荘園として支配し、山上山下に坊舎72坊におよぶ大寺院であった。しかし、戦国時代には数度にわたる戦火で二王門を除く全山が焼失した。本堂は1836年、上林領主の藤掛左京の援助で再建され、本尊は千手観音菩薩をまつる。
..................................................................................撮影:君尾山

4月18日がこの寺の祭りである。筆者の子供の頃は大層賑わって多くの参拝者で溢れかえったことを懐かしく思い出す。露天商も数多く出店し、わずかな小遣いをもらって参道を駆け上がり、玩具やお菓子を買うのがとても楽しみであった。桜咲く春には、昔日の思いを込めて久し振りに参拝してみたいと思う。
投稿者 ryokudo : 16:40 | コメント (0)
2006年01月16日
冠雪四姉妹
12月に入り4回目の積雪である。日本各地で記録的な大雪となり、屋根の雪下ろしや自動車のスリップ事故などで多くの人が亡くなったり怪我をされている。暖冬予想がとんでもない大雪となったものだが、このまま天候が回復しないと新年は雪の正月となりそうだ。
........................................................................................撮影:二王公園

府道1号線を、若狭方面に向かってドライブすると、カーブを回るごとに積雪は増え、福井県の境あたりで最も多くなる。近年、一番の大雪は20年ほど前のことだ。筆者の家では、屋根から落ちた雪と地面に積もった雪がつながり、家の中は昼間でも照明がないと暗くて生活できなかった。
この積雪、生活する大人には厄介なものだが、子供やスキーヤー達にとっては楽しい遊びの道具である。あやべ温泉の裏山でも、子供達がソリを持込んで高いところから滑っている姿が目に映る。自動車で来て頂くお客様は是非、スノータイヤでお越し願いたいものだ。
<地球一口メモ>
日本は四季がハッキリしており、季節の移り変わりを楽しめる国でもある。大層な話になるが、地球は46億年前、太陽と共に宇宙の塵が集まって誕生し、それから約1億年後、火星くらいの大きな隕石が衝突して地軸が23.4度傾いたそうだ。これにより四季が生まれ、冬には雪が降ったり夏には白夜になったりする。地球環境は季節で変化し生物もそれに合わせて進化してきた。一方、飛び散った地球の破片は、再び引力で引き戻されて月が誕生したという。宇宙の壮大なドラマであるが、もし、地軸が真直ぐで四季のない地球だったらどんな世界になったであろうか。
投稿者 ryokudo : 11:11 | コメント (0)
2006年01月11日
クリスマスライブ
あやべ温泉の二王館ロビーを利用して12/24クリスマスライブが開催された。出演は大阪を中心に活動しているコーラスグループ「テクノクスシンガーズ」だ。今回のライブでは、クリスマスソングや歌謡曲、日本の唱歌やミュージカルなど多彩な曲を演奏して楽しい一時を提供して頂いた。また、桑田リーダーのユーモアたっぷりの司会進行も馴れたもので、メンバーとの息もぴったりである。
..................................................................... 撮影:あやべ温泉 二王館

上林でのコンサートは、昨年9月の「いな木ライブ」に続いてこれで3回目だ。このメンバーには上林出身の野々垣圭さんがいる。ラーメン店「の」の娘さんだ(写真左端)。彼女は国際大会にも参加され、優秀な成績を上げられたそうだ。また、地元の秋祭りでは神輿を担ぐ元気な学生さんでもある。あなたも、週末にラーメン店「の」に行かれたら、父親のお手伝いをしている彼女に会えることができるかも・・・・。
<テクノクス 一口メモ>
テクノクスシンガーズは、1999年の夏、テクノクスの母体でクラシックの合唱団である「モーツァルト・コーラス・アンサンブル」のベルギー演奏旅行をきっかけにそのメンバー8人で結成され、大阪を中心に活動を開始。ジャンルにこだわらず、どんな場所でも対応できることをモットーとし、クラシック、ミュージカル、日本の唱歌、ゴスペルなど幅広いレパートリーを歌っている。1999年、大阪のジャズピアニスト中村葉子との競演以来、ジャズ系のライブハウスの出演も増え、2月には大阪ブルーノートにも中村葉子の応援で出演が決まっているそうだ。
投稿者 ryokudo : 14:13 | コメント (0)
2006年01月06日
酒林
酒林は、杉玉とも呼ばれ新酒ができたことを知らせる目印として酒蔵に吊るして使われてきたそうだ。酒林をかけていると、通りかかった人達が声をかけていかれるそうで酒屋さんのシンボルでもある。
......................................................................................撮影:あやべ温泉

お酒は、日々を重ねるごとに旨味を増し成熟していく。酒林もつくりたては青く、日々につれて青から茶色へと変化していく。この酒林お酒の熟成を表すという。 酒林には60cm程の大きなものもあり、また、屋根やしめ縄をつけた飾りもいろいろ工夫されたものがある。
起源は、酒の神を祭る大神神社のご神体“三輪山”の杉を「みたまのしるし」として薬玉にしたものだそうだ。この酒林、あやべ温泉の売店では、そのミニチュア(写真)を販売している。一度ご覧頂ければ幸いである。
<日本酒一口メモ>
米を主体とした酒がつられるようになったのは、BC300~200年の縄文から弥生時代にかけて稲作が渡来定着した後で、西日本の九州、近畿での酒づくりがその起源とされている。AD250頃の有名な「魏志東夷伝」には、倭人のことを<人生酒をたしなむ>と評し、喪にあたっては弔問客が<歌舞伎飲酒>をする風習があることも記されており、我々の先祖が古くからお酒を愛していたことがうかがえる。
投稿者 ryokudo : 14:44 | コメント (0)
2006年01月01日
黒谷の和紙
11月6日、十倉名畑町の旧口上林小学校の校舎を利用した「黒谷和紙工芸の里」がオープンした。館内には、流し漉き工房や日本/世界各地の和紙製品サンプル展示場、和紙商品の即売場などがあり、初めて訪れたものを楽しませてくれる。また、紙漉き体験もでき、紙漉きの面白みや難しさも知ることができる。
............................................................................撮影:黒谷和紙工芸の里

林さんは10年前、京都からやってきた。下十倉の自宅にも工房を持ち、この上林で和紙生産を根付かせていきたいとの想いを熱心に語る。また、受付けの佐々木さん(女性の研修生)は、和紙に魅せられて2年前に大阪からやってきた。若者や第二の人生を見つけようとする人々が集まり和紙の技術習得に励んでいる。
黒谷の和紙は古く平家の落ち武者が子孫へ残す技として始めたといわれている。江戸時代には、旗本領になり数々の奨励策がとられて次第に発展し、京都が近いこともあって京呉服に関連した紙が多くつくられてきた。
4月からは、園部町にある京都伝統工芸専門学校「和紙工芸科」の生徒を受け入れ、和紙の後継者育成を進めていくという。また、和紙の原料である「楮」の栽培を、この上林で始めたいとの構想もある。黒谷和紙協同組合の福田理事長の想いは尽きない。
<和紙一口メモ>
紙は、その昔中国で生まれた。日本へは610年、最古の女帝 推古天皇の奈良時代、高句麗の僧「曇徴」が絵の具や墨と共に製紙を伝え、これを聖徳太子が産業として日本各地に広めたという。和紙の技術的特長は「流し漉き」にある。これは、紙漉きのときにトロロアオイやノリウツギなどの植物から採取された透明の粘液(トロロ)を混入することによって生まれた技法である。1000年以上に渡ってその生命を保ち、世界に誇る美しくて丈夫な和紙は、日本人の智恵と工夫によって育まれたのである。