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2006年03月29日

八幡神社(No.2)

........................ ................撮影:中上林 八津合町
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 八幡神社の本殿入口の両脇には、「狛犬」が置かれている。犬に似た想像上の獣の像(こま)つまり異国の犬という意味だそうだ。向かって右側の像は「阿形」で角はなく、左側の像は「吽形」で1本の角があって両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多い。

 厳密には、角のない像を「獅子」、角のある像を「狛犬」と言い、一対で「獅子狛犬」と称するのが正しいそうだ。阿吽(あうん)の形は日本に多く、これは、仁王の影響を受けたと考えられ、平安時代にはすでに定着していたという。

 日本の狛犬は、各地の神社に多く造られており、形態も様々なバリエーションがある。例えば、イノシシや龍、狐の形の像も同じ役割を果たしていることもあり、これらを合わせて「神使」と呼ぶそうだ。「神使」は神社(祀られる神)によって特定の動物が採用される場合があり、稲荷神社の狐、春日大社の鹿、弁財天の蛇などが代表的なものである。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 19:15 | コメント (0)

2006年03月27日

八幡神社(No.1)

....................................................................................撮影:中上林 日置谷
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 中上林の八津合町には、樹齢数百年の杉木立に囲まれた八幡神社がある。祭神は勿論、応神天皇だ。境内は真昼でも薄暗く、空気もひんやりと冷たくその歴史を感じさせる。

 全国4万社ある八幡神社の1つとして、建武2年(1335)京都の石清水八幡宮より勧請。関が原合戦の翌年、慶長6年(1601)上林城主 藤懸永勝の領地となり、江戸時代には領主の篤い保護を受けたという。

 八幡さんは、2年に一度収穫を祝う秋祭りが10月に行われる。氏子達が一同に会し、大勢の参拝者の中で式典があり、その後は神楽の獅子舞そしてハッピ姿の若者達が担ぐ神輿が村々を練り歩く。都会ではなかなか見られない伝統の趣がある。(次回に続く)

<ひとり言>
 日本には八百万の神々がある。受験合格、除災招福や入学の祝いなど数々の人生儀礼において祈願を行い、その功徳を得ようとする。「神仏を尊んで、神仏に頼まず」とは、60数回の真剣勝負で一度も負けなかった江戸時代の剣豪 宮本武蔵の言葉だが、私のような凡人は神仏に頼むことがこの上なく多い。比べる方が無理か・・・!!!

投稿者 ryokudo : 09:33 | コメント (0)

2006年03月20日

囲碁 天狗会(No.2)

..................................... ..........................................撮影:青少年 山の家
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(前回の続き)
 この日は、天狗会にとって2006年のスタートでもあり、対戦の前に総会が開催された。会をリードするのは熊内輝夫さんだ。彼は、奥上林の公民館館長として先般、このブログでも紹介したマージャン大会の主催者でもあり、奥上林の自治活動では大活躍である。

 天狗会の半数は、中上林で開催されている上林囲碁同好会にも参加されている。また、今年は、初めて綾部市の大会が開催され、それぞれの地域の代表14チームが一同に会し、自慢の腕を競ったそうだ。一方、夏休みになると毎年、都会の子供達が山の家に集まり、囲碁の合宿が開催されるという。長い歴史のある囲碁の後継者は着実に育まれている。

<囲碁一口メモ>
 囲碁は、四千年の昔、中国の聖天子、堯・舜が作ったと伝承されている。農耕技術の発達に伴い、正確な暦(カレンダー)の必要性から天文学が発達し、その知識と当時の思考風土から囲碁が生まれ、諸侯、文化人そして民衆へと伝搬していったそうだ。

 日本には、吉備真備によって紹介されたと言われ、奈良の正倉院御物には見事な碁盤があり、当時、宮中では碁が盛んに行われていたらしい。碁が今日の域に達したのは、16世紀後半に京都寂光寺の僧、日海(本因坊算砂)が現れて、豊臣秀吉や徳川家康の師となり、碁の中興の端を開いてからだという。

投稿者 ryokudo : 12:34 | コメント (0)

2006年03月17日

囲碁 天狗会(No.1)

................................................................................撮影:青少年 山の家
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2月のある土曜日の午後、奥上林の囲碁仲間である天狗会のメンバー14名が青少年山の家 研修館に集合した。これは、毎月1回開催されている天狗会の例会である。今年で20年ほど続いており、還暦を過ぎたメンバーは益々元気である。我こそ一番という人達の集まりであり、それぞれが天狗などだという。

 会のメンバーは全部で27名、参加者は相手を変えて5局対戦し、その日の優勝者を決めているそうだ。ちなみに、この日のトロフィー受賞者は桜井和成さん、2位長野幸男さん、3位熊内輝夫さんであった。3人が4勝1敗で並び年齢で順位を決めたそうだ。

 そして、毎回対戦の記録をつけ、何時でも自分の順位が分かる仕組みになっている。これらを集計し、年間をとおして勝率の最もよかったものが年間優勝者となる。そこで昇級も決められ、参加者の励みになっているという。また、7月には前期戦、12月には後期戦を開催するなど会の運営や技術の向上にも工夫がされている。

 対戦後は、参加者で夕食を囲んで囲碁談義に花が咲く。共通の趣味をとおし、楽しみを共有する中で相互理解が深まり、気さくな人間関係が育まれる。ここにも、また、上林のチカラがあることを確信した。
(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 20:59 | コメント (0)

2006年03月04日

マージャン大会(No.3)

................................................................................撮影:奥上林 公民館
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(2月18日マージャン大会No.2の続きです)

<麻雀一口メモ>
麻雀は、中国が唐の時代760年頃、宮中で流行した葉子戯(木の葉遊び)が元祖だという。時代が下がり、明朝の1621年葉子戯が発展した形で、馬吊(マーチャオ)という遊びが完成し、これがマージャンの語源となったそうだ。

1700年代の清朝時代に108枚となり、牌には宗江や呂峻儀、林沖など水滸伝の英雄たち108人が描かれていたという。これに三元牌を加えて120枚そして、風牌16枚を加えて136枚に完成させたのは陳魚門(チン・イーメン)という人である。

彼は、清朝の官吏登用試験をトップで通過した秀才でありながら、いかなる役職も与えられなかったそうだ。当時は太平天国の乱が起きた直後で、賊の出身地に近い陳が当局に警戒されたためだという。彼は、持てる才能を麻雀というゲームの完成に注いだそうだ。

そして、1899年義和団の乱が勃発し、清朝3,000人の宮中人が郷里に逃げ帰ったことにより、麻雀は中国各地に広まった。これが、マージャンが日本に伝わる大きなきっかけになったという。

投稿者 ryokudo : 15:19 | コメント (0)