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2006年10月28日
八幡神社の秋祭り
................................................... .......................撮影:中上林 八津合町

何時もは静かな境内も、今日ばかりは朝早くから大勢の氏子達が集まり、にぎやかで華やいだ1日となった。10月15日(日)晴天に恵まれた秋空の下、中上林 八津合町にある八幡神社では2年に一度の秋祭りが行われた。
紋付袴に身を包んで槍や鉾、旗などを持ちながら長い行列の最後に、金色に輝く神輿が法被姿の男たちによって担ぎ出され、ワッショイワッショイの掛け声とともに村々を練り歩いた。行先は、石橋 城山の上り口に祭られている金毘羅宮のあるお旅所だ。
この八幡宮、全国に4万社ある八幡神社の1つとして、建武2年(1335年)京都の岩清水八幡宮より勧請。関が原合戦の翌年、慶長6年(1601年)上林城の城主である藤懸永勝の領地となり、江戸時代には領主の篤い保護を受けたという。
ひと昔前、この祭りは2日間に渡って行われるほど賑わって、神輿はお旅所で1泊したそうだ。今では過疎化、少子高齢化の時代の流れの中、このような行事をとおして11の自治会が協力しながら相互に助け合い、若者達を中心に連帯感を育んでいる。
<祭り一口メモ>
江戸時代、祭りは正月と共に地域の最大行事であり、老いも若きも指折り数えてその日を来るのを待ちこがれた。常日頃おさえつけられた民衆は、この日に1年の憂さを晴らし、快くない庄屋や役人の家へ神輿をかつぎこんで暴れたりした。また、若者達にとっては男女交際を許された日であり、村人をあげて祭りを楽しんだという。
投稿者 ryokudo : 14:42 | コメント (0)
2006年10月23日
黒毛和牛(No.2)
...............................................................................撮影:故屋岡町 川原

(前回の続き)
杉本さんが飼育を始めた昭和55年当時、奥上林では13件の農家で和牛を飼っていたが、今では古和木の三木さんと2人だけになってしまったそうだ。過疎と少子高齢化が津波のように押し寄せ、最盛期3,000人近くの人口が今では690人に減ってしまった。そして、政府の減反政策と重なって米づくりも減り続け、今ではあちこちの農地が放置され、耕作する人もなく荒廃してきている。
杉本さんの奥さんは、荒れつつある近くの田んぼを見ながら、これを利用して牛を放牧し、草を食べさせたら綺麗にもなり、お互いに助け合うことができる。そのような話ができる場を作り、みんなで上林を元気にしていければと熱く語られる。
ところで、和牛には生まれたときから一頭一頭に名前がついていて証明書が発行されており、いつ、どこで生まれた、どんな牛かがすぐに分かるそうだ。その戸籍管理をしているのが全国和牛登録協会だ。ちなみに、牛の鼻頭のシワ模様は、人間の指紋のようにそれぞれ異なり、このシワで固体判別をするという。
今、アメリカ産牛肉の輸入が再開され議論を沸かせているが、日本で食べる牛肉の半分は和牛であり、その1/3が黒毛和牛だという。この牛は、明治以前から日本で飼われてきた肉質がきめ細かく、我が国が世界に誇る「肉専用種」である。(次回へ続く)
投稿者 ryokudo : 10:10 | コメント (0)
トビ
................................................................................撮影:奥上林 睦寄町

「夕焼け空が真っ赤か トンビがくるりと輪を描いたホ~イのホイ」のフレーズで始まる三橋美智也の歌にもあり、「ピーヒョロロ」とのどかな声で鳴き、「トンビ」と呼ばれて日本人には古くから親しまれてきた。里山の多い上林の風景にはよく似合う鳥である。
ある日の夕方、どこから集まってきたのか、睦寄町の田んぼの上空には70数羽のトビがグルグルと輪を描きながら飛び続けていた。その内の2羽が筆者の畑の近くに巣を構えていて、農作業の合間におやつを食べていると、後ろから音もなく飛んできてあっという間にさらっていく。
トビの属するワシタカ科は世界で218種。ユーラシアやアジア、オーストラリア北部からアフリカにかけて世界の広い範囲に生息している。ネズミ、ヘビ、カエル、鳥類などの生きているものを空中から狙って狩る、いわゆる「ワシタカ類の狩り」は行わない。主に農耕地やその周辺の山地、海岸に近い山地などに生息し、弱ったヘビやカエル、魚類などを主食にしている。
戦後、木材不足を補うため多くの山々で植林が始り、食べ物が成る木は伐採されてすっかり減少し、野鳥や小動物の生息域を少なくしてしまった。そして、生物はその個体数を減らし、絶滅が危惧されている種は年々増加している。食物連鎖の一方の頂点にいるトビには、おろかな人間たちの営みをいつまでも上空から見下ろしていてほしいものである。
投稿者 ryokudo : 09:07 | コメント (0)
2006年10月16日
紙漉き体験
.....................................................................撮影:口上林 十倉名畑町

和紙工芸の里の研修生である渡辺さんの指導により、真剣な表情で紙漉き体験をしているのは、あやべ温泉からの見学者たちだ。
10月最初の休館日、あやべ温泉の従業員17名は、口上林にある黒谷和紙工芸の里を訪問し、初めての紙漉き体験をした。この日は、あやべ温泉の従業員が毎月実施している地域の観光資源学習会の第3回目である。
紙漉きは、漉き船に水と紙素、そして、トロロアオイの根から出てくる粘液のサナを入れてよく混ぜ、それを簀桁(すげた)で漉いていく。8枚のハガキにインキで色模様をつけながら3回の工程に分けて紙漉きを行い、参加者の全員がとても上手に仕上げることができた。
この後は、プレスで水分を絞り乾燥をさせて仕上げるが、この作業は先生にお任せし、完成したハガキは体験者の自宅へ送って頂けることになっている。自分たちの漉いた和紙がどのようになって送られてくるのかとても待ち遠しい。
植物の楮(こうぞ)が和紙になるまでには、苗作りから紙漉き後の加工までを入れると18工程にも分かれる。また、和紙は1枚1枚を手作りで仕上げていくため洋紙とは比べものにならない程の手間と時間がかかる。日本古来の伝統ある和紙つくりの工程の一部を学習した体験者たちは、紙1枚にも愛着を持ち大切に扱っていくことだろう。
投稿者 ryokudo : 14:58 | コメント (0)
黒毛和牛(No.1)
.............................................................................撮影:故屋岡町 川原

府道1号線沿いにある杉本さんの家の前の牧場には、11頭の黒毛和牛が放牧されており、いつも下を向いて美味しそうに草を食べている。カメラを向けると顔を上げ、親しげな目を向けて興味深そうに近寄ってくる。この牧場では、11頭のメス牛に毎年種付けをおこない、子牛を誕生させて肉牛として出荷されている。
現在、子牛は10頭が別棟で飼育されている。親牛の負担を少なくするため、生まれてから4ヶ月経つと親牛と離して育てるが、この時、とても悲しがるため10日ほどかけて徐々に慣らしていくという。そして、9ヶ月で出荷されるそうだ。
牛は、定年後にも飼えると考えて昭和55年から飼い始め、ご主人が勤務の傍ら奥さんと二人三脚で世話をされて来られた。生き物である牛は、気が抜けないことが多く労力もいるが、草などを美味しそうに食べるのを見るとその疲れも癒されるという。また、清潔感を好み、寝床の籾殻を新しいのに変えてやると寝転がって喜ぶそうだ。
杉本さんは、19歳のとき四国の高知県からこの上林へ来られた。会社勤めをしながら和牛を飼育され、今では4ha(12,000坪)の田んぼを耕作するこの地域では一番の農家でもある。そして、家庭では5人のお孫さんに囲まれた3世代の家長として、また、地域の自治活動でもいろいろな役割を担って元気に活躍されている。ちなみに、あやべ温泉 月例杯パターゴルフ大会の第1回の優勝者でもある。(次回へ続く)
投稿者 ryokudo : 14:43 | コメント (0)
ヒガンバナ(彼岸花)
...............................................................................撮影:中上林 睦合町

稲刈りの終わった田んぼの畦や道端の岸には真っ赤な彼岸花が列をなして咲き、遠くから見ると、殺風景な田園に一輪の花を添えたような雰囲気を感じさせてくれる。別名曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ともいわれ、秋の彼岸ごろから開花することに由来する。
「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る・・・・」と歌われたこの花は、中国から伝来した帰化植物だという。高さ50cmほどの花茎が葉のない状態で地上に突き出して咲く姿は、他の草花にはあまり見られず、その色と相まって少し異様にすら感じる。
異名が多く、死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花とも呼ばれ、日本では忌み嫌われることがある。また、韓国では彼岸花のことを「相思華」とも呼ばれ、花と茎が同時に出ることがないことから「葉は花を思い、華は葉を思う」という意味があるそうだ。
鱗茎にアルカロイドを含む有毒植物であるが、この毒は水にさらして抜くことができ、澱粉に富むため古くは救飢植物として食用されたという。このため、田畑の畝によく植えられたそうだ。上林では、この花が萎むと同時に本格的な秋がやってきて、朝晩は一段と涼しくなってくる。
花言葉は「悲しい思い出」「思うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」