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2007年02月25日
銑ちゃんの仏像(No.3)
..................................................................................撮影:奥上林 光野町

(前回の続き)
明王とは、如来の教えに従わない救いがたい人々を救済するために、如来の命を受けて、怒りの形相になって現れた仏で、不動明王や愛染明王など7種類。
天部とは、天上世界に住む鬼人をいい、仏教を信じる心を妨げる外敵から人々を護り、仏法を守護する役目を持っているもので、帝釈天や毘沙門天など10種類。
宗派によって信仰の対象となる本尊は異なる。例えば、天台宗は座阿弥陀如来、真言宗は大日如来、浄土宗は舟阿弥陀如来、臨済宗と曹洞宗は釈迦如来像など等。これらの宗祖は、最澄や空海、法然や親鸞、栄西や道元、そして日蓮などの平安から鎌倉時代の高僧たちであり、その教えは大乗仏教といわれるものだ。
したがって、現在、日本人が「仏教」と呼んでいるものはこの大乗仏教であり、釈迦の始めた仏教(原始仏教)とはかけ離れたものである。その違いを一言で言えば、大乗仏教では大衆の救済が目的であり、その手段は如来への信仰である。しかし、原始仏教では、個人の解脱(悟り)が目的であり、その手段は自力による修行だ。
では、なぜ釈迦の教えは変わって言ったのか。それは、開祖釈迦の仏教が、決して難解ではないがあまりにも高度であったために、後世の人間が簡単な方法に改めたということである。修行(小乗)から救済(大乗)へと重点が変わったといってよいだろう。これができたのは、仏教がキリスト教のような啓示宗教ではないからだという。
(次回へ続く)
投稿者 ryokudo : 2007年02月25日 15:08