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2007年02月25日

銑ちゃんの仏像(No.4)

...................................................撮影:奥上林 光野町
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(前回の続き)
では、釈尊は2500年の昔、インド北部(今のネパール)の釈迦族の王子でありながら29歳で家庭や社会を捨ててまで求めたものは一体何だったのだろうか。古代インドには、人間はその生涯の終わりに「死ぬ」のではなく六道(地獄・餓鬼・畜生・修裏羅・人間・天上という六つの世界)を永遠にめぐる(輪廻する)と考えられていた。

そして、この「永遠の生」を「苦しみ」と捉え、その苦しみから脱する(解脱する)方法を求めた。そして、釈迦は35歳の時、とある木の下でその悟りを開き、自らを如来といったそうだ。

原始仏教の時代には「仏像」というものはなく、仏教徒が拝んだのは釈迦の「お骨」であり、これを特に「仏舎利」という。この仏舎利を祀った塔がストゥーパ(卒塔婆)と呼ばれ、信仰の対象であり中心だったが、仏教の大衆化が進むにつれて信仰や礼拝の対象になったのが仏像である。

紀元一世紀頃から北西インド(現在のパキスタン)のガンダーラ地方で、今日で言う「仏像」が初めて造られるようになった。この地域は、ギリシャとの交流が盛んで、ギリシャ神像彫刻を造っていた。その技術を仏像に応用した。今日の仏像は、シルクロードを経て中国、朝鮮、日本と伝来してくる間に、三十二相八十種好というルールが定められ、それを護ったものになっているそうだ。

紙面不足ため言葉足らずの部分が多々あり、理解しにくい表現になっていることをお詫びしたい。言葉足らずの部分は、この記事を書くのに参考とした井沢元彦氏の「逆説の日本史」を参照してほしい。(おわり)

投稿者 ryokudo : 2007年02月25日 16:05

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