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2007年11月30日

荒廃する里山(No.2)

.........................................................................撮影:奥上林 故屋岡町
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<筆者の独り言>                    (前回の続き)
大層な話、安保体制が続くアメリカの庇護の下、お金と人材を経済活動に投入できた日本は、昭和30年代の高度成長政策により飛躍的に工業が発展し、その製品輸出によって外貨を稼ぎ世界一豊かな国になった。自家用車や家電は各家庭に何台もあり、核家族はそれぞれマイホームを建て、子供は十分な教育を受け、世界各地から集めた食料はマーケットに満ち溢れている。

物質的に豊かになった日本ではあるが、反面、農林業はすっかり魅力がなくなり限界集落といわれる跡継ぎのない地域は日本全体で10,790(15%)集落も発生した。その結果、80%を輸入材に依存する木材産業は成り立たなくなり、先代たちが植樹した人工林は放置され、すっかり荒廃してしまった。(写真は雪で折れた杉林)

同時に、経済活動のグローバル化が進む中、国際競争力の低下した農産物の食料自給率は40%にまで落ち込み、先進国の中では極端に低くなった。(フランス130%、アメリカ120%、ドイツ90%、イギリス80%)世界一豊かになり平和ボケした日本。誰がこの国を変えることができるのか。まさに“禍福はあざなえる縄の如し”である。

地球温暖化により世界各地の氷河が溶け、ヒマラヤの水不足によって農業生産が落ち込み20億人が食糧難になるだろうとも言われている。40数年後の石油の枯渇と合わせて資源不足が進む21世紀は大きな食糧難の時代を迎えるというが、その前に日本の農政が見直され、若者が農林業に夢を託せるのは何時のことになるだろう。

投稿者 ryokudo : 15:53 | コメント (0)

2007年11月27日

荒廃する里山(No.1)

........................................................................撮影:奥上林 故屋岡町
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耕作者のいなくなった田畑の多くはセイタカアワダチソウなどの雑草が生い茂り、すっかり荒れ果て、筆者が通学していた頃に比べると旧奥上林小学校前の田園風景(写真)はすっかり変わってしまった。

この地域は、昭和28年(1953)台風13号の大洪水により土砂で埋まったことから、当時、導入され始めた耕耘機の能力に合わせて8 a(240坪)の大きさに耕地整備された。その当時の農業は和牛による農耕の時代でもあり、筆者も学校への行き返りなんと便利な耕作機械が使われ始めたものかと感心していたことを思い出す。

今は、時代が変わって大型トラクターの全盛期、その耕作能力は耕運機の比ではない。一区画面積の小さい耕作地は作業効率が低いことや農道が狭いことなどから作り手がないのだとも言われる。

日本の農政は長期に渡り減反政策が進められてきたが、近年は地区に割当てられたお米の収穫量が基準に満たないことから作付面積を増やそうとする。しかし、減反政策や米の低価格が長く続いたこともあって、すっかり魅力を失った農業は次世代の担い手を失い、作付面積が減ることはあっても増やすことは難しい環境にある。

ある資料によると、日本の農業従事者における65歳以上の比率は52%を超えるが、44歳以下の従事者となると10%(フランス57%、イギリス54%)。これは食料自給率の低さと合わせて日本の農業が危機的な状況になっている証拠でもあるという。(参考文献:武田邦彦著「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」)次回へ続く。

投稿者 ryokudo : 16:11 | コメント (0)

2007年11月19日

全国水源の里シンポジュウム(No.3)

................................................................................撮影:奥上林 老富町
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(前回の続き)
4月に施工された水源の里条例の対象地区である老富町3集落(大唐内、市茅野、栃)は、あやべ温泉から更に10km東の福井県堺に位置する山間の集落で上林川の水源の地でもある。一昨年、このブログでも取り上げたフォークの神様といわれた岡林信康さんが4年間住んでいたところでもある。

過疎化が進み高齢化率は極めて高く、次世代を担う後継者もほとんどいないが、水源の里連絡協議会の酒井聖義会長や西田愛子さんを中心に荒廃した土地を耕し、ホウレン草などの野菜や花をつくり、その一部をあやべ温泉で販売している。3集落が一緒に作業するのは30年振りとか。「共同作業は楽しく目標があると元気が出る」と云われる。

奥上林のもうひとつの水源の里「古屋」では、この夏、シカの食害から栃の実を守るため10数本の栃の木の周囲350メートルにネットを張った。今年は不作で9月に採れた栃の実は約10kgとか。ここから裏山の洞峠を越えると美山町。綾部から京都への最短コースの地でもある。そして、平家の落ち武者が住み着いた集落でもあり多いときは50数人の人々が住んでいたといわれるが、現在は5所帯7人となった。

行政の支援を受け、地区の自立と活性化をめざして立ち上がった水源の里の人々は、限界集落と言われる環境を受け入れ、それぞれの地区の特産品を産業に育てようと頑張っておられる。自然豊かな上林に住みたいと希望するI/Uターンの人達を受け入れながら次世代を担う後継者が育っていくことを願うばかりだ。

投稿者 ryokudo : 09:15 | コメント (0)

2007年11月15日

全国水源の里シンポジウム(No.2)

..................................................................................撮影:五津合町 市志
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全国水源の里シンポジュウムの開催された翌日、全国からの参加者160名は2組に分かれ、マイクロバス9台で限界集落と言われる水源の里(市志と古屋)を訪れた。市志(写真)では、荒廃した田畑を耕作し、鹿の獣害を防ぐためのネットに囲まれて栽培されているフキ畑を視察した。

ここは綾部市街から東へ約30km、中上林から舞鶴へ抜ける菅坂トンネル(府道51号)のすぐ手前。筆者も、初めて訪れる山間の風景に目を奪われながら、地元の男性が慣れないマイクを持ちながら熱心に説明されている様子に胸が熱くなるのを感じた。

その後、福井県境に位置する老富町の改築された公民館に集合し、地元の女性たちが準備したオニギリやイモ煮、搗き立ての栃餅などで昼食をとりながら相互に情報交換を行った。雨の中でのイベントではあったが、全国から訪れた参加者の方々はきっと何かを得て帰郷されたことだろう。(次回へ続く)

<限界集落 一口メモ>
過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。これは、大野晃長野大学教授が、1991年の高知大学教授時代に提唱した概念だと言われている。(参考文献:ウィキペディア)

国土交通省の調査では、65歳以上が半数以上を占める集落と機能維持が困難になっている集落を合わせると10,790集落ある。ちなみに、あやべ温泉がある奥上林地区の高齢化率は63%。(総人口667人、40年前の1/4程度)

投稿者 ryokudo : 21:40 | コメント (0)

2007年11月10日

全国水源の里シンポジュウム(No.1)

.....................................................................撮影:里町 中丹文化会館
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綾部市には、65歳以上の高齢者が人口の50%を超える集落が38ヶ所あるという。10月18日、過疎・高齢化により後継者のない存続の危機にある限界集落について考える「全国水源の里シンポジウム」が、綾部市里町にある中丹文化会館で開催された。この日は、同じ悩みを抱える全国29道府県51市町村の自治体などから850人が参加して集落の再生に向け、熱のこもった意見が発表された。

実行委員長の四方市長の挨拶に続いて、限界集落の名付け親とされる大野晃長野大学教授の基調講演、地元、水源の里連絡委員の西田愛子さんからの現地報告(写真)、そして、各地の山間地で町づくりに取組む行政関係者や住民代表によるパネルディスカッションなどで集落が抱える課題や活性化策について意見交換が交わされた。

四方綾部市長は、この春施行した「水源の里」条例の経緯を振り返りながら、集落が抱える農村や環境問題を解決することは21世紀に暮らす人々の責務だ。「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」という理念を全国に広めることの重要性を強調した。

また、大野晃教授は、過疎化により山や農地の荒廃が進むと、伝統文化・芸能や山野風景を消滅させ、さらに川や海など自然環境の悪化に繋がると警告。そこに住むものが地域を分析し、政策をつくることが大切だともいわれる。21世紀は、地方が府県や国を動かしていく時代だとも・・・・。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 14:56 | コメント (0)

2007年11月04日

ミニ文化祭(No.2)

...................................................................................撮影:睦寄町 草壁
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(前回の続き)

新宮神社(写真)は、草壁公民館横にある小山の、きれいに整備された参道を100メートルほど登った杉林の、苔のジュウタンを挽いたような広場に建てられている。ここにはお新宮さんを初め、イボ神さんや稲荷神社など4つの神さんが祭られており、古くから人々の信仰の対象として大切に守られてきた。

新宮神社の裏には小さな池があって、年中枯れることのない清水が湧き出している。「その池の水をつけるとイボやデキモノが治る」と古くからの言い伝えがあり、イボ神さんとして崇められ小さな祠が建てられている。

草壁はもと草賀部と云い、更にその前は日下部ともいった。それは、古代日下部氏の一族が来住したことから「日下部」とよび、後に「草賀部」「草壁」と変わって現在になったとある。

日下部氏は、第9代開化天皇の孫狹穂彦の出で、その部は山城、摂津、河内、和泉にあったことが文献にみられ、押盤皇子の日下部使主が、その子と億計王らを奉じて大和より丹波へ逃れてきたと云われる。日下部一族のゆかりの地は新宮神社への参道途中にあり、そこには日下部王子の墓と言い伝えの古墳がある。

大和朝廷の支配する時代の、古墳文化を代表するものとして仁徳天皇陵があるが、地方豪族たちも力相応にまねて作ったのが草壁、川原、神塚、光野などに残っている古墳の跡形ではあるが、草壁のものが方墳か円噴かは定かでない(参考文献:奥上林村誌)

投稿者 ryokudo : 15:21 | コメント (0)

2007年11月01日

ミニ文化祭(No.1)

..................................................................................撮影:睦寄町 草壁
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文化の秋、各地で様々な催しが行われているが、ここ草壁ではミニ文化祭が開催され、多くの自治会員が参加して収穫の済んだ秋の一日を楽しんだ。この日は、全員で公会堂近くにある新宮神社に参拝し、それぞれの思いを祈願した。その後、広場でグラウンドゴルフをプレーし、成績発表と表彰を行って午前の行事を終了した。

午後からは、昼食を持参した仕出し屋さんの独創的なコマ芸の後、昼食をとりながら稲子さんの詩吟、熟女たち5人による足芸のひょっとこ踊り、檀野さんと熊内さんの大正琴、植山さんの二人羽織(写真)、岩見さん夫婦と渡辺さんのカラオケなど参加者が得意の芸を披露し、喝采の拍手を浴びながら時間の過ぎるのを忘れた。

例年、草壁では新宮神社の秋祭りが行われ、飲んで食べてカラオケを唄う場であったが、今年は公民館係の稲子和夫さんの発案で「ミニ文化祭」として企画され、仲間が協力して実現されたもので初めての試みだという。公民館の別室には、自治会員が持ち寄った絵画や掛け軸、生け花や日本刀など自慢の宝物がたくさん展示されていた。

そして、大工の野々垣さんが提供された花瓶とマナ板を渡辺裕さんがセリにかける頃、祭りは最高潮に達し、多くの収益金が自治会に納められた。最後は、全員で「ふるさと」を斉唱して文化祭は閉幕した。3世代が楽しみを共有する中で相互理解が深まり、気さくな人間関係が育まれている。ブログ取材をかねて飛び入りで参加させて頂いた筆者も、草壁の人たちの穏やかで温かな人柄に接し、ほのぼのとした気分で帰途に着いた。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 15:27 | コメント (0)