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2008年01月28日

雲太・和二・京三(No.1)

..................................................................................撮影:君尾山 光明寺
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「雲太・和二・京三」という言葉をご存知だろうか。日本史に興味のある方ならご承知のとおり、これは平安時代の源為憲の「口遊(くちずさみ)」という本に書かれているもので、当時の建築物の背の高い順を謳った数え歌である。

出雲太郎、大和二郎、京三郎の略で、太郎は出雲大社本殿、二郎は大和東大寺大仏殿、三郎は平安京大極殿。当時の大和東大寺大仏殿45m、それより高い出雲大社本殿は48mあり、そこへ上がる階段の長さは109mもあったとか。あまりの高さに平安中期から鎌倉中期までの200年間に7回も倒れているそうだ。

今回は、あやべ温泉を、そして上林の自然をこよなく愛する東京からのお客様(次回写真)と共に君尾山光明寺(写真)を参拝しながら日本史を振り返り、古来より日本人が感じる霊、特に仏教と結びついた怨霊信仰について考えてみたい。

大国主命を主祭神とする出雲大社は“いずもおおやしろ“と読むのが正しいが、何故こんなに高い建物を立てる必要があったのだろう。「古事記」や「日本書紀」が伝える神話によると、出雲一帯に国を築いた大国主命の下に、天界(高天原)から「国を天照大神に差し出すように」という遣いがやってきた。

そこで、大国主命は「国を差し上げる代わりに、私の住むところとして、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい」と願いでた。アマテラスはその願いを聞き入れ、天にも届かんばかり高い社を建てたのが出雲大社だと伝えられている。
(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 10:09 | コメント (0)

2008年01月21日

くにうみまつり(No.4)

............................................................................撮影:旧奥上林小学校
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(前回の続き)
クマやイノシシなどの獣害を防ぐためには殺すことだけでは解決しない。里山と奥山を棲み分け、その奥山にクリやミズナラ、トチ、ブナなどの落葉広葉樹を植樹し、動物たちに帰れる森を育ててやることだと云われる。それが私たち人間にとって掛替えのないほど大切なことだとも・・・・。

今回のイベントを人権学習と設定し、奥上林連合自治会へ参加要請された奥上林公民館長の熊内輝夫さんは、閉会の挨拶の中で「これを機会に上林の山や森を考え直してみたい。また、動物たちとの共生を考えていきたいとも・・・。我々には長年培ってきた山を育てる知識や技術がある。これを若い人たちに受継いでほしい」と云われる。

手作り市では、地元の人達からオニギリや手打ちうどん、パンやカレーライス、手作りのお菓子や鶏のから揚げ等など多くの出展があり、ご協力を頂いた。本当に有難いことである。スタッフとして参加した筆者からも紙面を借りてお礼申し上げたい。

まつりの最後は、迫力ある上林太鼓がフィナーレを飾り、関西で初めての「第6回くにうみまつり」は多くの人々に感銘と課題を提供して閉幕した。

<筆者の一言>
このブログを読まれた感性豊かな読者の皆さま、日本熊森協会会長の森山まり子先生の「クマともりとひと」という冊子を読んでみてください。きっと、あなたのクマに対する認識が変わります。(日本熊森協会:Eメール jbfa@nifty.com)

投稿者 ryokudo : 09:22 | コメント (0)

2008年01月18日

くにうみまつり(No.3)

.................................................写真:森山まり子著 「クマともりとひと」
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(前回の続き)
ある地域の猟友会の会長さん、母親グマを撃ち殺したが小熊が離れないので仕方なしに家へ連れて帰って飼い始めたそうだ。この小熊、大層なついたことから奥さんは子供のように可愛がって育てていたがある日病気になって死んでしまったという。

奥さんは悲しさのあまり毎日のように墓参りをして供養されるのを見て、ご主人は鉄砲を捨て猟師を止めたと云われる。クマを殺せという住民の前でこの話をされてから集会の流れは、クマを保護する方向に変わったそうだ。

また、パネリストの荒木さんも青葉山レンジャー隊長として40年の長きに渡って山を守る仕事をされておられるが、1人で山に入るとクマなど沢山の動物が寄ってくるそうだ。寒い時はクマと一緒に寝ることもあり、こちらが敵意を示さなければクマはとてもやさしい動物だと云われる。

さて、森山先生が大好きな理科の教師生命をかけてまで取組んできたことは何か。その姿を見て生徒たちは何を感じただろう。それは、目の前の困難から逃げないことを、身をもって示したこと。そのことの大切さを感じた子供たちは、目的を達成するためには知識と力が必要と知り、猛烈に勉強を始めたことから武庫東中学校は文部省推薦のような信じられない学校へ変わって行ったそうだ。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 16:57 | コメント (0)

2008年01月12日

サンタパレード

...............................................................................撮影:綾部市 志賀郷町
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志賀郷町にあるJA何北支店の前では、様々な形に装飾されたイルミネーションが点灯するソリが沢山並べられ、クリスマスの夜を華やかに飾っている。12月23~24日、志賀郷町では、「2007年サンタパレード」が開催され、近隣からの大勢の家族連れで賑わった。

夕闇迫る7時、ソリのイルミネーションへの点灯で始まった催しは、サンタ衣装に身を包んだ小学校6年生の児童8名によるハンドベル演奏やビンゴゲームなどで祭りを盛り上げた。また、参加した子供たちはソリの中に入ってはしゃいだり、写真を撮ったりして楽しんでいた。

これは、先月、旧奥上林小学校を利用して開催された「第6回くにうみまつり」のスタッフとして参加し、2日目の司会を担当された井上吉夫さんとその仲間の方々が主催されており、10年ほど前から毎年続けられているそうだ。ちなみに、井上さんは志賀郷町で17ヘクタール(17町歩)の稲作を営む綾部市でナンバーワンの大農業者でもある。

広場の一角には、地元の有志が出展するタコ焼きやうどん、カレーライスなどの屋台が並び、参加者は列を成して順番を待っていた。筆者も、初めて訪れた滋賀郷の冬の夜空を眺めながら上林にもこのような催しが開催できたらと思う。

明日のイブには、ここに設置されたイルミネーション満載のソリを、井上さんたちが運転するトラクターに曳かれて町内を練り歩くという。少子高齢化と過疎化はここでも進んでいるが、都市からのIターン移住者の方々も参加して、志賀郷の人たちは年末の一時を楽しんだ。

投稿者 ryokudo : 22:20 | コメント (0)

2008年01月08日

.......................................................................................撮影:あやべ温泉
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手作りのぬくもり、布の持つ優しさ、そして、落ち着いた絵柄がかもし出すパッチワークキルトは見るものの心をほのぼのとした暖かさで包んでくれる。

あやべ温泉二王館のロビーを利用して「サークル布美の会」の生徒さん達の力作数十点が1月10日まで展示されており、入浴や宿泊で訪れたお客様方が熱心に見学されておられる。今回は、布美の会の生みの親でもある故屋岡町川原の西尾貞子さんに、その面白さや魅力についてお伺いした。

5年ほど前、姑の介護で悩んでいた西尾さんが楽しみを持ちたいと同級生でもあり、指導者である温井ツネ子さんの薦めで自宅を提供して毎月2回、針使いの好きな12人の仲間と共にパッチワークをやって来られた。この教室のひとときは、介護の疲れと、かさつきそうになる心に潤いを取り戻す大切な自分の時間になったと言われる。

1メートル四方の大きさだと2ヶ月間ほどかかるが、仕上がったものは売ることはなく親しい人に差し上げることが多いそうだ。そして、技術が向上した今では、機会あるごとに展示会を開催されている。筆者も、一度は西尾さんのお宅で開催される教室を訪れ、細かい針使いをされる生徒さん達の指先を見てみたいと思う。

<パッチワーク 一口メモ>
大小様々な布片をはぎ合わせ、飾りや模様をいれ1枚の大きな布に仕上げる手芸。決まった形の布を縫い合わせて作るピースワークと、一定の形に切り抜いたものを地布に縫い合わせていくアップリケワークに大別される。

その歴史は古代エジプト時代にまで遡るが、アメリカ開拓時代にはイギリスなどからの移住者が布を無駄なく大事に扱い、古くなった洋服の使える部分だけを切り取って縫い合わせ、防寒のためのキルティングが模様となり、色の組み合わせが芸術的な現在のパッチワークのもとになったという。

投稿者 ryokudo : 14:39 | コメント (0)

2008年01月02日

くにうみまつり(No.2)

................................................................................撮影:奥上林 睦寄町
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(前回の続き)
 2日目は、主催者である「きらり上林」の若杉典加代表の挨拶に続いて、日本熊森協会の森山まり子会長の基調講演。その後、彼女を含め初日の3名の講演者に加えて舞鶴市で山の巡視員をされている荒木邦雄さん、水源の里協議会の酒井聖義会長が加わってパネルディスカッション(写真)が行われた。

 若杉さんは、「自然豊かな上林に魅せられて11年前に大阪から母と共に移住してきた。古民家に住み、自然農法でお米を作りながら3人の子供たちを育てている。地域の人達が大切に守ってきた山や森を、都会の若者たちの支援を受けながら落葉広葉樹を植え、動物たちが棲める豊かな森を再生していきたい」と云われる。

 森山先生は1992年、鉄砲で撃ち殺されたクマの写真を見て、尼崎市立武庫東中学校の生徒たちと絶滅寸前の兵庫県ツキノワグマの保護に立ち上がった。獣害にあった人々や猟友会、行政の担当者の猛烈な反対にも臆することなく署名を集め、貝原兵庫県知事に会ってクマを射殺されるのを禁止した。そして、クマの棲む森を育てるため天皇陛下に手紙を書き、毎年行われている針葉樹の植樹会を落葉広葉樹に変えた。

 早くから杉や檜の人工林が植樹された九州ではツキノワグマは絶滅してしまった。四国の生息数はあと数十頭。兵庫県でも60頭しか生息しておらず絶滅寸前だという。クマは個体数が300頭を切ると近親相姦のため絶滅に向かうという。また、自然林を40%以上残す必要があるとも・・・・。

 クマなどの大型動物が歩くことで密集した木々の間に風穴ができ、また、食べた種子が遠くへ運ばれることにより広範囲に木々が育ち、保水力豊かな森ができる。自然界では全ての動物にそれぞれの役割があって微妙なバランスの上に成り立っており、ひとつが壊れると生態系の維持ができないとも云われる。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 16:31 | コメント (0)