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2008年02月11日
特選 山ぶき昆布
................................................................................撮影:綾部市 睦寄町

水源の里で採れるふきを使った「山ぶき昆布」づくりに励む渡邉さん
大きな鍋の、立ち込める湯気の中からはふきと昆布のとても良い香りが漂ってくる。あやべ温泉を経営する(株)緑土は、“水源の里”の老富町と古屋で採れた自生の山ぶきと北海道日高産の昆布を使った佃煮「山ぶき昆布」を開発し、昨年10月から大阪と兵庫の阪急百貨店5店舗(うめだ本店、千里、川西、宝塚、北花田)へ出荷している。
阪急に豆製品を卸している北尾商事の指導を受けた7月から、製造責任者である渡邉秀一さんの奮闘が始まった。塩漬けした山ぶきをやわらかくなるまで煮込み、昆布と山椒を加えて醤油と砂糖だけで味付けしていく。「汁がなくなるまで煮込むため、炊き込みには本当に気を使う」というが、作業中は厳しい表情の渡邉さんも「火を止めるとホッとする」とニッコリして語ってくれた。
味は、煮物が冷めていくときに浸み込むことから、夜中に起きて鍋の中のふき昆布を混ぜに来るそうだ。また、水にもこだわり、自宅のある“水源の里”古屋の水を汲んでいる。水道水とは風味が一味も二味も違うという。研究熱心で、味にこだわる渡邉さんは数十回の試作を繰り返し、厳しい阪急百貨店のチェックをパスした。仕上がった「山ぶき昆布」は適度な歯ごたえがあり、昆布にもふきのうま味が吸収された自信作である。
近隣の女性たちと一緒に作業しながらも工程のあちこちに目を光らせ、檄を飛ばす。和やかな中にも、味工房は緊迫した空気に包まれていた。この“山ぶき昆布”は阪急百貨店の他、あやべ温泉の二王館、あやべ観光案内所でも販売している。ブログ読者の皆さんも是非、一度ご賞味ください。問い合わせは、あやべ温泉0773‐55‐0262へ。
投稿者 ryokudo : 15:56 | コメント (0)
2008年02月09日
雲太・和二・京三(No.2)
..................................................................................撮影:奥上林 睦寄町

(前回の続き)
勿論、大国主命はそのような形で国譲りをしていない。大和朝廷の豪勇無双のタケミカヅチ(建御雷)は、オオクニヌシの息子タケミナカタ(建御名方)を戦で破って諏訪大社に封じ込め、もう一人の息子コトシロヌシ(事代主)は海中へ投身自殺した。また、オオクニヌシ自身も戦に破れ、自殺したか処刑されたとも云われる。
無念の死を遂げたオオクニヌシが怨霊となってこの世に現れ、様々な災いをもたらさないように日本一大きな建物を立て霊界に封じ込めた。その神殿にはオオクニヌシが横を向いて神座し、その前を大和朝廷の五人の神が固めている。私たちが拝んでいるのはこの五神だという。また、大社の神官は代々アマテラス子孫の出雲国造家だとも・・・。
ここでの参拝は二礼四拍手一拝、あの応神天皇を祀る宇佐八幡宮と同じだ。つまり、四(死)拍手で封じ込めているのだと云う。当時の人々は疫病や天災などの転変地異は霊のなす業と信じていた。そして、無念の死を遂げた人間は怨霊となってこの世に現れ、殺害した人々に災いをもたらすと・・・。古来より日本人が持つ怨霊信仰である。
そして、怨霊から逃れたいと大陸から伝来した、当時、最新の科学でもあった仏教の力を借りて逃れようとした。大和東大寺大仏殿は、無実の罪で殺害された長屋王一族の供養つまり怨霊鎮魂のため聖武天皇の発願により建設したと云う。その新しい神殿には八幡大神がおさまった。手向山八幡宮だ。(参考文献:井沢元彦著「逆説の日本史」)
現代、私たちが信仰する鎌倉時代に花開いた近代仏教は、人民の救済として普及したとも云われるが、推古天皇7年(599)聖徳太子が建立したとされる君尾山光明寺の、72軒の坊舎に住む修練者たちは何を目的として修業に励んだのだろう・・・・。