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2009年01月31日
雪遊び
.................................................................撮影:睦寄町 あやべ温泉

あやべ温泉駐車場横の傾斜面でソリ遊びを楽しむ若者
本格的な冬将軍を迎えた1月中旬、地域としてはこの冬一番の大雪に見舞われ、積雪は60センチメートルにもなった。あやべ温泉では、雪遊び目当てに多くの来館者があり、学生や家族連れの方々が売店で用意している貸出し用のソリを利用して、駐車場の裏山を元気に滑り降りていた。
厳しい寒さの影響で雪が綿のように軽く、転んでもあまり濡れないこともあって子供につられて大人たちも一緒になってはしゃぎまわり、温泉周辺は終日賑やかな声がこだましていた。
すぐ近くの我が家でも、雪の重みで障子の開け閉めがままならないことから降雪の中、レインウェアを着ながら屋根の雪下しを行った。一時間もすると身体からは湯気が噴出し、下着は汗が滴るほど濡れていた。ちなみに、屋根から落とした大量の雪は、孟宗竹の節を抜いてパイプにしたもので山水を引き込み、水の力を利用して融かしている。
福井県境に位置する水源の里では、この地域とは比べ物にならない程の沢山の積雪があり、送電線への倒木などにより幾度か停電したことがある。3シーズンは快適な上林も、冬季の寒さや雪に負けない精神力と、積雪対応が必要である。
投稿者 ryokudo : 17:11 | コメント (0)
2009年01月19日
ダウンリバー上林
.......................................................................................撮影:山家 東山町

ダウンリバーを楽しむあやべ温泉の大志万さん
手もつけられないほど冷たい雪解け水で増水した上林川をカヌーで下る若者がいる。あやべ温泉二王館フロントマンの大志万さんと福知山カヌークラブの仲間たちだ。上林川が由良川と合流する直前の橋上町から東山町にかけての2~3kmほどは岩場や急流、水流のうねりや水深に恵まれ、カヌーでの川下りには格好の場所だという。
写真撮影の合間にもロールやカートホィール、ピールインやサーフィンといったカヌー特有の技を披露して筆者を驚かす。また、身体に装着しているスーツは水中に潜っても水が入らず、身体をウエットに保ち、真冬でもそれほど寒くはないと云われる。
福知山カヌークラブのメンバーは4人の女性を含めて約20人。メインの活動は北近畿の川下りだが、長良川や四国の大歩危などにも遠征している。また、静水練習やプールでの体験会、キャンプや日本海でのカヤックサーフなども取り入れ、技術の向上と共に親睦にも尽力されている。ちなみに、2008年、同クラブでの活動はダウンリバーを中心に75回を数える。
大志万さんは川下りを始めて5年。カヌーは自然が相手なので危険を伴うが、やればやるほど成長できるし、マイナーだが、人の出来ないことが体験できるので遣り甲斐のあるスポーツだと云われる。共通の趣味をとおして気さくな人間関係が生まれ、相互啓発することで連帯感が高まる。彼にとってカヌーは自己研鑽のツールでもある。ブログ読者の皆さんも、カヌーの面白さを体験してみませんか。
投稿者 ryokudo : 15:27 | コメント (0)
2009年01月12日
新あやバス運行
.....................................................................撮影:睦寄町 あやべ温泉

25日からの営業に先立ってあやべ温泉を訪れた新あやバス
木枯らしの合間の晴天に恵まれた23日、上林の風景にはちょっと派手な色したバスがあやべ温泉に入ってきた。これは、従来のあやバスの運行委託会社に変わって25日から営業する(株)関西丸和ロジスティクスが運行するあやバスのデモストレーション(試乗会)で、2台の車両には47名の乗客があった。
このイベントは綾部市役所観光部が企画するもので、市役所をスタートに名畑町の黒谷和紙工芸の里を見学した後、あやべ温泉で昼食と入浴を楽しんで頂いた。また、この企画に合わせてJA東部オペレーター部会による恒例の年末餅つき大会が行われ、訪れた参加者には善哉やきな粉餅など軟らかい杵つき餅をお腹一杯食べて頂いた。
この地域は、2年前までは京都バスが運行していたが乗車数の減少などから撤退し、その後、綾部市の委託を受けた会社も頓挫。新しく、25日からは桃太郎便で知られる運送会社の(株)関西丸和ロジスティクスが委託運行している。
(株)関西丸和ロジスティクスは、奥上林地区最大のイベントである二王公園まつりにも多くの支援をされており、地域社会への貢献を理念とされている会社である。あやバスは市民の足として欠かすことのできない公共交通機関であり、運送業のノウハウを生かして末永く継続していってほしいと願うばかりである。
投稿者 ryokudo : 14:21 | コメント (0)
2009年01月04日
大師堂の聖徳太子(No.2)
................................................................................撮影:睦寄町 光明寺

聖徳太子など三体の木像が安置されている大師堂(開山堂)
太子14歳の時、仏教を広めようとする曽我氏と従来の神を崇拝する物部氏との間に争いが起こった。いわゆる崇仏論争である。初めは物部氏が優勢であったが、曽我氏に味方した太子が四天王を彫刻し、祈願したことから結束が固まり曽我氏が勝利した。そして、戦前の約束どおり大阪難波に四天王寺を建立した。日本で始めての官寺である。
華々しい活躍のあった太子ではあるが、父に死なれた14歳から22歳頃までは、極めて劣悪な家庭環境の中にあったことから強度のノイローゼになり、高句麗からきた仏僧の恵慈法師と共に数年間伊予の温泉で転地療養を送ったとも・・・・。また、太子は埋葬や殯(もがり)期間の短さなどから「変死」であるとも云われる。そして、法隆寺は太子の怨霊鎮魂のために建立されたのだとも・・・・。
1400年も前のことを知ってどんな役に立つのか。歴史を学ぶ意義は何かを改めて考えてみたい。ある時、友人がこんなことを云った。「古墳を発掘して何が面白いのだろう」と。そこで掘っている人は応えた。「土いじりをしている訳ではないのだ。墓に眠る人や当時に生きた人々と話をしているんだよ」と。
西洋の諺に「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とある。また、歴史は知恵の宝庫であるとも云われる。確かに過去のことは、こうすれば、こうなると結果が分かっているから後世の人々が学ぶところは多々ある。そのためには事実をしっかりと伝えることが大切ではあるが、前漢の歴史家の司馬遷はそのことに命を懸けたとも云われる。筆者は体験にも学べない愚者ではあるが歴史を学ぶ意義をこのように理解する。(終わり)