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2009年01月04日
大師堂の聖徳太子(No.2)
................................................................................撮影:睦寄町 光明寺

聖徳太子など三体の木像が安置されている大師堂(開山堂)
太子14歳の時、仏教を広めようとする曽我氏と従来の神を崇拝する物部氏との間に争いが起こった。いわゆる崇仏論争である。初めは物部氏が優勢であったが、曽我氏に味方した太子が四天王を彫刻し、祈願したことから結束が固まり曽我氏が勝利した。そして、戦前の約束どおり大阪難波に四天王寺を建立した。日本で始めての官寺である。
華々しい活躍のあった太子ではあるが、父に死なれた14歳から22歳頃までは、極めて劣悪な家庭環境の中にあったことから強度のノイローゼになり、高句麗からきた仏僧の恵慈法師と共に数年間伊予の温泉で転地療養を送ったとも・・・・。また、太子は埋葬や殯(もがり)期間の短さなどから「変死」であるとも云われる。そして、法隆寺は太子の怨霊鎮魂のために建立されたのだとも・・・・。
1400年も前のことを知ってどんな役に立つのか。歴史を学ぶ意義は何かを改めて考えてみたい。ある時、友人がこんなことを云った。「古墳を発掘して何が面白いのだろう」と。そこで掘っている人は応えた。「土いじりをしている訳ではないのだ。墓に眠る人や当時に生きた人々と話をしているんだよ」と。
西洋の諺に「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とある。また、歴史は知恵の宝庫であるとも云われる。確かに過去のことは、こうすれば、こうなると結果が分かっているから後世の人々が学ぶところは多々ある。そのためには事実をしっかりと伝えることが大切ではあるが、前漢の歴史家の司馬遷はそのことに命を懸けたとも云われる。筆者は体験にも学べない愚者ではあるが歴史を学ぶ意義をこのように理解する。(終わり)
投稿者 ryokudo : 2009年01月04日 18:26