2008年06月23日

ほたる祭り

............................................................................撮影:中上林 八津合町
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中上林最大のイベント「ほたる祭り」が、6月14日、あやべ温泉の姉妹施設である上林山荘の周辺で行われた。午後8時20分、彼方此方の河川から集めたホタル3,000匹が放流されると会場を埋め尽くした4,000人の見物者からは大歓声があがった。

これは、ほたる祭り実行委員会(四方英生委員長)が主催するもので、地域の大勢の人々の参加と協力によって継続されており今年で27回目を迎える。午後2時、河川敷の仮設池の魚つかみで始まったイベントは、ビンゴゲームや宝探し、よさこい踊りや上林太鼓の演奏などが披露され、参加者は土曜日の午後の一時を満喫した。

また、24店舗の模擬店が並ぶ駐車場では、地域の人々が丹精込めて調理した自慢の食材が盛付けられ、見物客は好みの食べ物に舌づつみをうった。お好み焼きや綿菓子など目前で調理しながら販売する人気コーナーには行列ができ、出展者はその応対に大忙しだ。

27回を迎えたほたる祭りも年々規模が拡大し、参加者も増加してきた。それに伴って交通整理や駐車場確保、また、河川からホタルを捕獲することに対する自然保護の意見などもささやかれている。

豊かな田園が広がる上林ではあるが、一方では、農業は森林を消滅させた最大の環境破壊とも云われる。また、稲株が土に埋まることから発生するメタンガスの温暖化度合いは二酸化炭素の20倍あるとも云われている。人間が営みをすることは幾多の環境影響がある。地域活性と環境問題は人間に与えられた永久的課題なのかも知れない。

投稿者 ryokudo : 10:49 | コメント (0)

2008年06月06日

二王公園まつり

...............................................................................撮影:奥上林 睦寄町
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ふるさとテント村で販売する地域の出展者たち

6月最初の日曜日、奥上林最大のイベントである「二王公園まつり」が、あやべ温泉の姉妹施設である二王公園を中心として行われ、晴天の下、各地から3,000人が参加し、日頃は静かな山間の地域も大層な賑わいとなった。これは、奥上林自治会連合会の二王公園まつり実行委員会(熊内輝夫委員長)が主催するもので、今年で13回目を迎える。

メイン会場のふるさとテント村では、各自治会と各種団体から栃餅やぜんざい、お好み焼きや炊込みごはんなどのふるさと産品の販売と食事コーナーへの出展があり、呼び込みの声が響く中、接客サービスに追われていた(写真)。そして、恒例の自治会対抗パターゴルフ大会や上林小学生による太鼓演奏などが行われ、公園内には賑やかな歓声が木霊した。

また、この日は綾部市役所が主催する二王門登山レースと向日市・綾部市友好交流ウォーキング、そして、綾部市警察による交通・防犯教室と京都府警音楽隊のバンド演奏なども行われ、軽快なリズムとカラーガード隊がまつりに花を添えた。

小学生と中学生、一般の距離別10部門に分かれて行われた二王門登山レースは、過去最高の800人近い参加者があった。また、向日市との交流ウォーキングは286人の参加者があり、7kmと9.5kmのコースに分かれ光明寺の参道を約2時間かけてウォークした。

この奥上林、限界集落といわれ、過疎と高齢化が進む山村ではあるが、地域で生きる人々は、これらの行事を通して楽しみを共有し、共同体としての居心地の良さを求めながら連帯感を高めている。若い人々が次世代を担ってくれることを切望しながら・・・・。


投稿者 ryokudo : 13:30 | コメント (0)

2008年05月30日

若杉友子の野草料理教室(3/3)

............................................................................撮影:奥上林 故屋岡町
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<マクロビオティック 一口メモ>
直訳すれば「長く思いっきり生きるための理論と方法」で、実践の基本はまず「食」。動物性のもの、特に肉はあまり食べず、無農薬・自然農法の穀物や野菜を中心とした食事をとる。そして、野菜は原則として、その土地・その季節でとれるものを食べること。

現代マクロビオティックの祖は桜沢如一(ゆきかず)で、日本の食養法と中国の易の陰陽論、そして現代科学を結びつけ、その思想と実践方法の普及に努めた。海外ではジョージ、オーサワとしてよく知られているそうだ。

食の3原則として、身土不二、一物全体、陰陽調和だという。身土不二とは、その土地でとれたもの、その季節に自然にとれるものを中心に食べること。一物全体とは、一つの物を丸ごと食べること。穀物も精白せず、丸ごと調理する。陰陽調和とは、食物の陰陽バランスを考え、体調に合わせて選択・調理することで、精製糖や動物性食品は原則的に用いない。

その実践効果として健康を維持し、体力を強化できる。よく眠れるようになる。糖尿病やガンを予防し、血行を良くすることから老化現象を防ぐ。精神面では気持ちが明るくなりストレスが少なくなる。そして、精神が強くなり、生きていく気力が高まるとも云われる。

中国では、「上位の医者は食事で治す。中位の医者は食事と薬で治す。下位の医者は薬で治す」と云う。健康は万人の願い。身体と心をはぐくむ食養法、あなたも是非、一度体験してみてください。(おわり)

投稿者 ryokudo : 14:54 | コメント (0)

2008年05月26日

若杉友子の野草料理教室(2/3)

...........................................................................撮影:奥上林 故屋岡町
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春の野草を探す若杉友子さんと参加者

(前回の続き) 
鍋は土鍋を使い、主食は玄米。食材は野草や雑穀、ゴマ。調味料は味噌と醤油が多い。ちょっと昔の日本人の生活様式だ。肉や魚などの高タンパク、高カロリー食材は使わない。また、電子レンジやアルミやテフロン加工の調理器具もない。カドミウムなどの重金属が身体に入りアルツハイマーなど色んな病気の原因になるからだ。

食の欧米化により成人病が増え、ガンが増え、アレルギーが増え、骨粗しょう症が増え、昔の日本では見られなかったような病気ばかりが増えた。食べ物の持つ陰陽エネルギーを取り入れたマクロビオティックは中国4千年、日本3千年の歴史をもつ優れた知恵と食文化があると云われる。

数十年前、アメリカでは癌や糖尿病などの成人病が急増したことから膨大な医療出費が重なり、国家財政の危機感を持った政府は5百億円をかけて市場調査を行った。その結果、一番良いのは日本食だということが分かり、アメリカでは日本食ブームが起き、また、コシヒカリが栽培されるようにもなった。

「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」とも云われるが、私たち日本人はそんな格言さえ忘れ、世界各地から食材を輸入し、グルメ指向で高タンパク、高カロリーな食生活が一般化し、アメリカの後追いをしている。(次回へ続く)

若杉友子さんのプロフィールと野草料理の詳細は、書籍「若杉友子の野草料理教室」を参照ください。購読は「きらり上林」へ 代表:若杉典加 FAX:0773‐55‐0002 

投稿者 ryokudo : 12:29 | コメント (0)

2008年05月19日

若杉友子の野草料理教室(1/3)

............................................................撮影:奥上林 故屋岡町(1/3)
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今、上林の野にはヨモギやツクシ、コゴミなど春の野草がたくさん芽を出している。それらの季節の野草を食材とした若杉友子さんの料理教室とマクロビオテック講座が旧奥上林小学校を利用して開催され、京阪神や近畿各地から大勢の愛好家が参加した。

この料理教室は、上林をこよなく愛する「きらり上林」代表の若杉典加さんが主催するもので、4月からは新企画として毎月1回、第二土・日曜日を利用して1泊2日で行われている。娘の典加さんは参加者の募集から会場・宿泊の手配、食材や器具の準備を担当する。

友子さんは手際よく調理しながら、そのポイントや食材の効能を分かりやすく説明していく。味噌は3年物がよく、炊いたら駄目。ゴマは右回転にまわしながら擂るのが良いという。食材の陰陽五行説や食事療法で治癒した人の体験談、日本人の食文化と知恵、生活の工夫などマクロビオティックの理論を交えたおしゃべりは尽きることがない。

ひとつの料理が終わりかけると次の食材を使った調理の指示を出していく。楽しそうに、リズミカルに、そして抜群の表現力と話術で生徒たちを引き付けていく。皆も必死にメモを取りながら、時には包丁を持って調理を行い、時にはペンを持って質問していく。そのようなやり取りの中で美味しそうな料理がひとつ、ふたつと仕上がっていく。

みんなで調理をし、みんなで食べ、そして、友子さんの話に傾聴する。30人の参加者の多くはリピーターであり、顔見知りの方も多い。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 14:34 | コメント (0)

2008年05月07日

大般若法要

................................................................................撮影:睦寄町 君尾山
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今年も、あやべ温泉の裏山にある君尾山光明寺の大般若法要が、地域のお坊さん7人を招いて盛大に行われた。この法要は毎年4月18日に開催されるもので、光明寺周辺の桜も祭りを祝うかのように彩を添えていた。

本堂では、中央に当寺の媒林和尚が座して祭りを仕切り、その合図で周囲に招かれた和尚たちが600巻に及ぶ大般若経典を次々と読み上げていく。鍛え抜かれた迫力あるお経は、江戸時代の初期、藤懸左京の援助で再建された光明寺の広い本堂に1時間に渡って木霊した。

この行事は、参拝者の無病息災、健康長寿を祈願するものだが、この日も数十年に一度しか開かれない本尊の千手観音菩薩を安置する正面扉は閉じられたままであった。

いつもは静かな境内も、この日ばかりは真言宗の檀家の人や上林小学校の全校生徒たちを始め、奥上林自治会連合会の関係者の方々が参拝し、華やいだ雰囲気に包まれた。また、地元青年団の若者が子供たちに玩具や食べ物を販売し、祭りに花を添えた。

<大般若心経 一口メモ>
般若心経は大乗仏教の空・般若思想を説いた経典の1つ。般若心経は、一般には600巻に及ぶ「大般若波羅蜜多心経」のエッセンス等といわれるが「大般若経」および「大品般若経」からの抜粋に「陀羅尼集経」に収録されている陀羅尼を末尾に付け加えたものであるとも云われている。

投稿者 ryokudo : 15:36 | コメント (0)

2008年01月21日

くにうみまつり(No.4)

............................................................................撮影:旧奥上林小学校
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(前回の続き)
クマやイノシシなどの獣害を防ぐためには殺すことだけでは解決しない。里山と奥山を棲み分け、その奥山にクリやミズナラ、トチ、ブナなどの落葉広葉樹を植樹し、動物たちに帰れる森を育ててやることだと云われる。それが私たち人間にとって掛替えのないほど大切なことだとも・・・・。

今回のイベントを人権学習と設定し、奥上林連合自治会へ参加要請された奥上林公民館長の熊内輝夫さんは、閉会の挨拶の中で「これを機会に上林の山や森を考え直してみたい。また、動物たちとの共生を考えていきたいとも・・・。我々には長年培ってきた山を育てる知識や技術がある。これを若い人たちに受継いでほしい」と云われる。

手作り市では、地元の人達からオニギリや手打ちうどん、パンやカレーライス、手作りのお菓子や鶏のから揚げ等など多くの出展があり、ご協力を頂いた。本当に有難いことである。スタッフとして参加した筆者からも紙面を借りてお礼申し上げたい。

まつりの最後は、迫力ある上林太鼓がフィナーレを飾り、関西で初めての「第6回くにうみまつり」は多くの人々に感銘と課題を提供して閉幕した。

<筆者の一言>
このブログを読まれた感性豊かな読者の皆さま、日本熊森協会会長の森山まり子先生の「クマともりとひと」という冊子を読んでみてください。きっと、あなたのクマに対する認識が変わります。(日本熊森協会:Eメール jbfa@nifty.com)

投稿者 ryokudo : 09:22 | コメント (0)

2008年01月18日

くにうみまつり(No.3)

.................................................写真:森山まり子著 「クマともりとひと」
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(前回の続き)
ある地域の猟友会の会長さん、母親グマを撃ち殺したが小熊が離れないので仕方なしに家へ連れて帰って飼い始めたそうだ。この小熊、大層なついたことから奥さんは子供のように可愛がって育てていたがある日病気になって死んでしまったという。

奥さんは悲しさのあまり毎日のように墓参りをして供養されるのを見て、ご主人は鉄砲を捨て猟師を止めたと云われる。クマを殺せという住民の前でこの話をされてから集会の流れは、クマを保護する方向に変わったそうだ。

また、パネリストの荒木さんも青葉山レンジャー隊長として40年の長きに渡って山を守る仕事をされておられるが、1人で山に入るとクマなど沢山の動物が寄ってくるそうだ。寒い時はクマと一緒に寝ることもあり、こちらが敵意を示さなければクマはとてもやさしい動物だと云われる。

さて、森山先生が大好きな理科の教師生命をかけてまで取組んできたことは何か。その姿を見て生徒たちは何を感じただろう。それは、目の前の困難から逃げないことを、身をもって示したこと。そのことの大切さを感じた子供たちは、目的を達成するためには知識と力が必要と知り、猛烈に勉強を始めたことから武庫東中学校は文部省推薦のような信じられない学校へ変わって行ったそうだ。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 16:57 | コメント (0)

2008年01月12日

サンタパレード

...............................................................................撮影:綾部市 志賀郷町
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志賀郷町にあるJA何北支店の前では、様々な形に装飾されたイルミネーションが点灯するソリが沢山並べられ、クリスマスの夜を華やかに飾っている。12月23~24日、志賀郷町では、「2007年サンタパレード」が開催され、近隣からの大勢の家族連れで賑わった。

夕闇迫る7時、ソリのイルミネーションへの点灯で始まった催しは、サンタ衣装に身を包んだ小学校6年生の児童8名によるハンドベル演奏やビンゴゲームなどで祭りを盛り上げた。また、参加した子供たちはソリの中に入ってはしゃいだり、写真を撮ったりして楽しんでいた。

これは、先月、旧奥上林小学校を利用して開催された「第6回くにうみまつり」のスタッフとして参加し、2日目の司会を担当された井上吉夫さんとその仲間の方々が主催されており、10年ほど前から毎年続けられているそうだ。ちなみに、井上さんは志賀郷町で17ヘクタール(17町歩)の稲作を営む綾部市でナンバーワンの大農業者でもある。

広場の一角には、地元の有志が出展するタコ焼きやうどん、カレーライスなどの屋台が並び、参加者は列を成して順番を待っていた。筆者も、初めて訪れた滋賀郷の冬の夜空を眺めながら上林にもこのような催しが開催できたらと思う。

明日のイブには、ここに設置されたイルミネーション満載のソリを、井上さんたちが運転するトラクターに曳かれて町内を練り歩くという。少子高齢化と過疎化はここでも進んでいるが、都市からのIターン移住者の方々も参加して、志賀郷の人たちは年末の一時を楽しんだ。

投稿者 ryokudo : 22:20 | コメント (0)

2008年01月02日

くにうみまつり(No.2)

................................................................................撮影:奥上林 睦寄町
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(前回の続き)
 2日目は、主催者である「きらり上林」の若杉典加代表の挨拶に続いて、日本熊森協会の森山まり子会長の基調講演。その後、彼女を含め初日の3名の講演者に加えて舞鶴市で山の巡視員をされている荒木邦雄さん、水源の里協議会の酒井聖義会長が加わってパネルディスカッション(写真)が行われた。

 若杉さんは、「自然豊かな上林に魅せられて11年前に大阪から母と共に移住してきた。古民家に住み、自然農法でお米を作りながら3人の子供たちを育てている。地域の人達が大切に守ってきた山や森を、都会の若者たちの支援を受けながら落葉広葉樹を植え、動物たちが棲める豊かな森を再生していきたい」と云われる。

 森山先生は1992年、鉄砲で撃ち殺されたクマの写真を見て、尼崎市立武庫東中学校の生徒たちと絶滅寸前の兵庫県ツキノワグマの保護に立ち上がった。獣害にあった人々や猟友会、行政の担当者の猛烈な反対にも臆することなく署名を集め、貝原兵庫県知事に会ってクマを射殺されるのを禁止した。そして、クマの棲む森を育てるため天皇陛下に手紙を書き、毎年行われている針葉樹の植樹会を落葉広葉樹に変えた。

 早くから杉や檜の人工林が植樹された九州ではツキノワグマは絶滅してしまった。四国の生息数はあと数十頭。兵庫県でも60頭しか生息しておらず絶滅寸前だという。クマは個体数が300頭を切ると近親相姦のため絶滅に向かうという。また、自然林を40%以上残す必要があるとも・・・・。

 クマなどの大型動物が歩くことで密集した木々の間に風穴ができ、また、食べた種子が遠くへ運ばれることにより広範囲に木々が育ち、保水力豊かな森ができる。自然界では全ての動物にそれぞれの役割があって微妙なバランスの上に成り立っており、ひとつが壊れると生態系の維持ができないとも云われる。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 16:31 | コメント (0)

2007年12月31日

くにうみまつり(No.1)

...............................................................................撮影:旧奥上林小学校
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上林の山々が紅葉で染まる11月24~25日の両日「第六回くにうみまつり」が旧奥上林小学校を利用して開催された。関東以外では初開催となるが、自然豊かな上林をステージとし、山やそこに住む動物たちとの共生・共存を考え、語り合う場として設定され近畿各地から約400人が集い、熱のこもった意見が発表された。

初日は、六ヶ所村ラプソディーの上映と「くにうみまつり」開催式典に続いて、3名の講師を招いての分科講演会が行われた。日本人の霊性の復興を訴える出口信一さん、半農半X研究所代表の塩見直樹さん、そして、地元奥上林で自給自足の生活を実践しながら日本各地で野草料理教室を開催されている若杉友子さん。受講者は、それぞれの希望する講師の教室に集まり熱心に耳を傾けた。

夕方からは阿蘇山麓で農業を営みながら環境問題について執筆や公演を行っている正木高志さんのトーク&ライブに続いて、ギター1本で日本中を唄って旅を続けるHALKOさん、インデアンフルートの真砂秀郎さん、そして、北インド古典音楽の南沢靖浩・松本晃祐さんが「くにうみ旅人達のライブ」と題して心に響く演奏を奏でた。(次回へ続く)

<くにうみまつり 一口メモ>
いのちを活かしていくために伝えられてきた食や農や環境の知恵を学びあい、分かち合い、そこに新たなひらめき、視点、心のあり方を加えて、全ての命が生き生きと輝いて生きられる世界を創ることを目的としたイベント。過去5回は関東で行われてきた。

投稿者 ryokudo : 20:16 | コメント (0)

2007年11月30日

荒廃する里山(No.2)

.........................................................................撮影:奥上林 故屋岡町
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<筆者の独り言>                    (前回の続き)
大層な話、安保体制が続くアメリカの庇護の下、お金と人材を経済活動に投入できた日本は、昭和30年代の高度成長政策により飛躍的に工業が発展し、その製品輸出によって外貨を稼ぎ世界一豊かな国になった。自家用車や家電は各家庭に何台もあり、核家族はそれぞれマイホームを建て、子供は十分な教育を受け、世界各地から集めた食料はマーケットに満ち溢れている。

物質的に豊かになった日本ではあるが、反面、農林業はすっかり魅力がなくなり限界集落といわれる跡継ぎのない地域は日本全体で10,790(15%)集落も発生した。その結果、80%を輸入材に依存する木材産業は成り立たなくなり、先代たちが植樹した人工林は放置され、すっかり荒廃してしまった。(写真は雪で折れた杉林)

同時に、経済活動のグローバル化が進む中、国際競争力の低下した農産物の食料自給率は40%にまで落ち込み、先進国の中では極端に低くなった。(フランス130%、アメリカ120%、ドイツ90%、イギリス80%)世界一豊かになり平和ボケした日本。誰がこの国を変えることができるのか。まさに“禍福はあざなえる縄の如し”である。

地球温暖化により世界各地の氷河が溶け、ヒマラヤの水不足によって農業生産が落ち込み20億人が食糧難になるだろうとも言われている。40数年後の石油の枯渇と合わせて資源不足が進む21世紀は大きな食糧難の時代を迎えるというが、その前に日本の農政が見直され、若者が農林業に夢を託せるのは何時のことになるだろう。

投稿者 ryokudo : 15:53 | コメント (0)

2007年11月27日

荒廃する里山(No.1)

........................................................................撮影:奥上林 故屋岡町
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耕作者のいなくなった田畑の多くはセイタカアワダチソウなどの雑草が生い茂り、すっかり荒れ果て、筆者が通学していた頃に比べると旧奥上林小学校前の田園風景(写真)はすっかり変わってしまった。

この地域は、昭和28年(1953)台風13号の大洪水により土砂で埋まったことから、当時、導入され始めた耕耘機の能力に合わせて8 a(240坪)の大きさに耕地整備された。その当時の農業は和牛による農耕の時代でもあり、筆者も学校への行き返りなんと便利な耕作機械が使われ始めたものかと感心していたことを思い出す。

今は、時代が変わって大型トラクターの全盛期、その耕作能力は耕運機の比ではない。一区画面積の小さい耕作地は作業効率が低いことや農道が狭いことなどから作り手がないのだとも言われる。

日本の農政は長期に渡り減反政策が進められてきたが、近年は地区に割当てられたお米の収穫量が基準に満たないことから作付面積を増やそうとする。しかし、減反政策や米の低価格が長く続いたこともあって、すっかり魅力を失った農業は次世代の担い手を失い、作付面積が減ることはあっても増やすことは難しい環境にある。

ある資料によると、日本の農業従事者における65歳以上の比率は52%を超えるが、44歳以下の従事者となると10%(フランス57%、イギリス54%)。これは食料自給率の低さと合わせて日本の農業が危機的な状況になっている証拠でもあるという。(参考文献:武田邦彦著「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」)次回へ続く。

投稿者 ryokudo : 16:11 | コメント (0)

2007年11月19日

全国水源の里シンポジュウム(No.3)

................................................................................撮影:奥上林 老富町
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(前回の続き)
4月に施工された水源の里条例の対象地区である老富町3集落(大唐内、市茅野、栃)は、あやべ温泉から更に10km東の福井県堺に位置する山間の集落で上林川の水源の地でもある。一昨年、このブログでも取り上げたフォークの神様といわれた岡林信康さんが4年間住んでいたところでもある。

過疎化が進み高齢化率は極めて高く、次世代を担う後継者もほとんどいないが、水源の里連絡協議会の酒井聖義会長や西田愛子さんを中心に荒廃した土地を耕し、ホウレン草などの野菜や花をつくり、その一部をあやべ温泉で販売している。3集落が一緒に作業するのは30年振りとか。「共同作業は楽しく目標があると元気が出る」と云われる。

奥上林のもうひとつの水源の里「古屋」では、この夏、シカの食害から栃の実を守るため10数本の栃の木の周囲350メートルにネットを張った。今年は不作で9月に採れた栃の実は約10kgとか。ここから裏山の洞峠を越えると美山町。綾部から京都への最短コースの地でもある。そして、平家の落ち武者が住み着いた集落でもあり多いときは50数人の人々が住んでいたといわれるが、現在は5所帯7人となった。

行政の支援を受け、地区の自立と活性化をめざして立ち上がった水源の里の人々は、限界集落と言われる環境を受け入れ、それぞれの地区の特産品を産業に育てようと頑張っておられる。自然豊かな上林に住みたいと希望するI/Uターンの人達を受け入れながら次世代を担う後継者が育っていくことを願うばかりだ。

投稿者 ryokudo : 09:15 | コメント (0)

2007年11月15日

全国水源の里シンポジウム(No.2)

..................................................................................撮影:五津合町 市志
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全国水源の里シンポジュウムの開催された翌日、全国からの参加者160名は2組に分かれ、マイクロバス9台で限界集落と言われる水源の里(市志と古屋)を訪れた。市志(写真)では、荒廃した田畑を耕作し、鹿の獣害を防ぐためのネットに囲まれて栽培されているフキ畑を視察した。

ここは綾部市街から東へ約30km、中上林から舞鶴へ抜ける菅坂トンネル(府道51号)のすぐ手前。筆者も、初めて訪れる山間の風景に目を奪われながら、地元の男性が慣れないマイクを持ちながら熱心に説明されている様子に胸が熱くなるのを感じた。

その後、福井県境に位置する老富町の改築された公民館に集合し、地元の女性たちが準備したオニギリやイモ煮、搗き立ての栃餅などで昼食をとりながら相互に情報交換を行った。雨の中でのイベントではあったが、全国から訪れた参加者の方々はきっと何かを得て帰郷されたことだろう。(次回へ続く)

<限界集落 一口メモ>
過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。これは、大野晃長野大学教授が、1991年の高知大学教授時代に提唱した概念だと言われている。(参考文献:ウィキペディア)

国土交通省の調査では、65歳以上が半数以上を占める集落と機能維持が困難になっている集落を合わせると10,790集落ある。ちなみに、あやべ温泉がある奥上林地区の高齢化率は63%。(総人口667人、40年前の1/4程度)

投稿者 ryokudo : 21:40 | コメント (0)

2007年11月10日

全国水源の里シンポジュウム(No.1)

.....................................................................撮影:里町 中丹文化会館
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綾部市には、65歳以上の高齢者が人口の50%を超える集落が38ヶ所あるという。10月18日、過疎・高齢化により後継者のない存続の危機にある限界集落について考える「全国水源の里シンポジウム」が、綾部市里町にある中丹文化会館で開催された。この日は、同じ悩みを抱える全国29道府県51市町村の自治体などから850人が参加して集落の再生に向け、熱のこもった意見が発表された。

実行委員長の四方市長の挨拶に続いて、限界集落の名付け親とされる大野晃長野大学教授の基調講演、地元、水源の里連絡委員の西田愛子さんからの現地報告(写真)、そして、各地の山間地で町づくりに取組む行政関係者や住民代表によるパネルディスカッションなどで集落が抱える課題や活性化策について意見交換が交わされた。

四方綾部市長は、この春施行した「水源の里」条例の経緯を振り返りながら、集落が抱える農村や環境問題を解決することは21世紀に暮らす人々の責務だ。「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」という理念を全国に広めることの重要性を強調した。

また、大野晃教授は、過疎化により山や農地の荒廃が進むと、伝統文化・芸能や山野風景を消滅させ、さらに川や海など自然環境の悪化に繋がると警告。そこに住むものが地域を分析し、政策をつくることが大切だともいわれる。21世紀は、地方が府県や国を動かしていく時代だとも・・・・。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 14:56 | コメント (0)

2007年11月04日

ミニ文化祭(No.2)

...................................................................................撮影:睦寄町 草壁
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(前回の続き)

新宮神社(写真)は、草壁公民館横にある小山の、きれいに整備された参道を100メートルほど登った杉林の、苔のジュウタンを挽いたような広場に建てられている。ここにはお新宮さんを初め、イボ神さんや稲荷神社など4つの神さんが祭られており、古くから人々の信仰の対象として大切に守られてきた。

新宮神社の裏には小さな池があって、年中枯れることのない清水が湧き出している。「その池の水をつけるとイボやデキモノが治る」と古くからの言い伝えがあり、イボ神さんとして崇められ小さな祠が建てられている。

草壁はもと草賀部と云い、更にその前は日下部ともいった。それは、古代日下部氏の一族が来住したことから「日下部」とよび、後に「草賀部」「草壁」と変わって現在になったとある。

日下部氏は、第9代開化天皇の孫狹穂彦の出で、その部は山城、摂津、河内、和泉にあったことが文献にみられ、押盤皇子の日下部使主が、その子と億計王らを奉じて大和より丹波へ逃れてきたと云われる。日下部一族のゆかりの地は新宮神社への参道途中にあり、そこには日下部王子の墓と言い伝えの古墳がある。

大和朝廷の支配する時代の、古墳文化を代表するものとして仁徳天皇陵があるが、地方豪族たちも力相応にまねて作ったのが草壁、川原、神塚、光野などに残っている古墳の跡形ではあるが、草壁のものが方墳か円噴かは定かでない(参考文献:奥上林村誌)

投稿者 ryokudo : 15:21 | コメント (0)

2007年11月01日

ミニ文化祭(No.1)

..................................................................................撮影:睦寄町 草壁
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文化の秋、各地で様々な催しが行われているが、ここ草壁ではミニ文化祭が開催され、多くの自治会員が参加して収穫の済んだ秋の一日を楽しんだ。この日は、全員で公会堂近くにある新宮神社に参拝し、それぞれの思いを祈願した。その後、広場でグラウンドゴルフをプレーし、成績発表と表彰を行って午前の行事を終了した。

午後からは、昼食を持参した仕出し屋さんの独創的なコマ芸の後、昼食をとりながら稲子さんの詩吟、熟女たち5人による足芸のひょっとこ踊り、檀野さんと熊内さんの大正琴、植山さんの二人羽織(写真)、岩見さん夫婦と渡辺さんのカラオケなど参加者が得意の芸を披露し、喝采の拍手を浴びながら時間の過ぎるのを忘れた。

例年、草壁では新宮神社の秋祭りが行われ、飲んで食べてカラオケを唄う場であったが、今年は公民館係の稲子和夫さんの発案で「ミニ文化祭」として企画され、仲間が協力して実現されたもので初めての試みだという。公民館の別室には、自治会員が持ち寄った絵画や掛け軸、生け花や日本刀など自慢の宝物がたくさん展示されていた。

そして、大工の野々垣さんが提供された花瓶とマナ板を渡辺裕さんがセリにかける頃、祭りは最高潮に達し、多くの収益金が自治会に納められた。最後は、全員で「ふるさと」を斉唱して文化祭は閉幕した。3世代が楽しみを共有する中で相互理解が深まり、気さくな人間関係が育まれている。ブログ取材をかねて飛び入りで参加させて頂いた筆者も、草壁の人たちの穏やかで温かな人柄に接し、ほのぼのとした気分で帰途に着いた。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 15:27 | コメント (0)

2007年10月16日

神輿、水源の里を巡行

...................................................................................撮影:睦寄町 古屋
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 10月14日の日曜日、あやべ温泉のある睦寄町の秋祭りが行われた。坂尾呂神社を出発した神輿は、この春から「水源の里」条例で対象地域に指定された古屋(写真)を皮切りに、4~5時間かけて7つの村々を練り歩いた。

 神楽や太鼓を従えた神輿は数十人の列となり、ワッショイワッショイと威勢のよい掛け声をかけながら街道を練り歩き、氏子たちが待ち構える公会堂を訪れてお札を配り、功徳を施した。また、行く先々で手作りのご馳走を食し、喉を潤した。

 筆者も、京都から帰郷し3回目の秋を迎えるが、昨年の八幡神社に続いて神輿について廻り、地域の人達とも交流させて頂いた。カメラマンとしての脇役ではあるが、とても温かく迎えて頂き、沢山のご馳走をお腹いっぱい食したことは忘れられない。

 特に、「水源の里」古屋で頂いた栃餅のゼンザイはとても美味しく、5杯も食した。限界集落といわれる古屋の4人の女性たちは、朝4時に起きて栃餅をつき、数十杯のゼンザイと盛り沢山のお寿司を作られたという。頭の下がる想いである。

 坂尾呂神社は須佐乃男尊を祭神とし、地域の人々の心の拠り所として長い歴史を刻んでいる。この神社のシンボルでもあった本殿両脇にそびえる大杉は、片方が一昨年の台風23号で傾き、倒壊の恐れのあることから伐採されてしまった。丁度、関が原合戦の直前に植えられた幹廻りが5メートル、樹齢400才を超える大木であった。

投稿者 ryokudo : 14:38 | コメント (0)

2007年10月15日

上林の体育祭

.....................................................................................撮影:上林中学校
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10月始めの日曜日、晴天に恵まれた秋空の下、上林中学校において奥/中合同の体育祭(地域振興協議会主催)が開催され、小/中学校の児童と一般の大人たちは元気にグラウンドを走り廻った。

参加者は、地域別に赤、白、黄、緑色の4組に分かれての27種目を行い、得点を争う6競技の総合得点で赤組(五泉・五津合町)が団体優勝の栄誉を手にした。このチーム、競技後の打上げの席では一際美味しいビールが喉を潤し、お互いの健闘を称え合ったことだろう。

体育祭は、奥/中小学校が合併した2005年4月からは文化祭と交互に開催されており、今年で2回目となる。上林小学校の生徒は58人、中学生は45人、奥/中の住民は約2,200人。少子高齢化と過疎化は年ごとに進み、児童が少なくなったことから体育祭への参加者も減少の一途をたどっており、取材している筆者も寂しさを感じる。団塊世代が小/中学生だった半世紀前の賑わいがまるで夢のように感じられる。

 体育祭も、高齢者でも参加できるプログラムを組むなど児童のいない家庭も含め、地域の幅広い人達が参加できるようになれば、少しは賑やかなものになるのではと感じるのは筆者だけではないだろう。

投稿者 ryokudo : 09:36 | コメント (0)

2007年10月13日

まこもたけ(NO.2)

...............................................................................撮影:まこもたけ(No.2)
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(前回の続き)
大槻さんの家ではカイコも飼われており、白・水色・黄色のマユがあって地域の人達が「マユ人形」を作っておられる。この次は絹糸を採りたいと云われる。趣味として、ジュラ紀・三畳紀の化石をたくさん採取されておられて専用の小屋に保管されており、大学教授も借りに来られるそうだ。また、「まこもの茎」からは、黒谷和紙工芸の林さんに依頼し、和紙づくりもされており、大槻さんの夢は限りなく広がっていく。

<まこも 一口メモ>                       
「まこもたけ」の原産地は中国・台湾で、イネに食用菌(黒穂菌)が寄生し、茎が肥大したもので4~5月に水田に植え10~11月にかけて収穫される。食物繊維が豊富で、腸内の老廃物を取り除く効果があり、カロリーが低い上に浄血作用を有する美容野菜だという。風邪、高血圧、便秘、糖尿病、水虫、アトピー、慢性胃炎、ヘルニアや更年期障害など多くの疾患に効果があり、人間だけでなく水辺の鳥も「まこもの茎」をかじって病気を治しているそうだ。

「まこも」は、各地の湖沼・川の水辺に自生するイネ科の多年草の水生植物。日本では、古代から薬草・食用あるいは「むしろ」などの生活用品として使われてきた。また、出雲大社、氷川神社、千葉の香取神社や大分の宇佐神社などでは神事に使用されているそうだ。そして、お釈迦様がマコモで編んだむしろ(寝床)に病人を寝かせて治療したという神話があり、これが日本に伝わってお盆にまこもで編んだ「盆ござ」や「盆舟」を捧げるようになったとも云われている。

投稿者 ryokudo : 14:26 | コメント (0)

2007年10月02日

マコモタケ(No.1)

...............................................撮影:綾部市 白道路町
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休耕田を利用して栽培されている「まこも」、株の大きさが一抱え程もあり、背丈は2メートルを遥かに越える。イネ科の植物でありながら水稲とは比べ物にならないほど大きく、田園に株が並ぶ風景は壮観である。

今回は上林から一歩足を伸ばし、白道路町でまこも栽培をされている大槻道和さんを訪ねてお話を伺った。大槻さんは定年退職後の4年前、地域の仲間9人と石川県ツバタへ研修に行き、休耕田を利用したまこも栽培を始められた。

京都での栽培は珍しいことから、先日もNHKがテレビ取材に訪れ、3回に分けて放映したという。今年は「まこもたけ」が不作のため、取材時もたった1本できたものを撮影されたそうだ。この時期、例年だと収穫に追われてとても忙しいが、近隣でも出来が悪く今のところ収穫は見込めないという。

例年だと東京のワシントンホテルを始め、銀座や六本木の料理店に出荷されている。また、あやべ温泉レストランでは天婦羅や煮物などの「まこも定食」をメニューとし、ヘルシーな食材としてたいへん好評を頂いている。無味無臭で、ほのかな甘みがあり、食べると柔らかいタケノコに似た食感があってとても美味しい。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 08:50 | コメント (0)

2007年09月25日

手作りの卒業証書

...................................................................撮影:口上林 和紙工芸の里
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 9月10日、綾部市に10校ある小学校のトップをきって、上林小学校6年の生徒13人が卒業証書を和紙で作ろうと、口上林名畑町にある黒谷和紙工芸の里へやってきた。ここのスタッフである渡辺さん(女性)と山本さんの指導を受けながら、舟に溜めた船水を「すけた」ですくう姿は真剣そのもの。

 渡辺さんは、紙漉きは難しいので“頑張ってやろうという気持ちが大切”だと云われる。そして、紙を漉く場所や待つ人の位置を決め、1枚の重さが12グラムになるように「流し漉き」の回数を決めていく。

 2回、3回と失敗を重ねる生徒もいるが2人の指導者は、にこやかに生徒たちを励ましながら、コウゾやトロロアオイを加え、馬鍬(ませ)で舟水をかき混ぜ13枚の和紙の卒業証書を完成させていった。最後は、担任の塩尻先生が紙漉きにチャレンジし、汗だくになりながらも生徒たちに負けないものを仕上げて体験学習は終了した。

 漉いた和紙は、この後、プレスで水分を絞り、干し板で自然乾燥させ、明日には完成して印刷会社へいく。綾部市にある小学校の今年の卒業生は312名。和紙工芸センターでは、この日の上林小学校から12月18日の吉美小学校までを3ヶ月間かけて和紙の卒業証書の制作が続く。

 熱心に指導して頂きながら、気持ちをこめて完成させた手作りの卒業証書、中学生になっても、きっと思い出深いものになるに違いない。

投稿者 ryokudo : 09:56 | コメント (0)

2007年09月22日

奥上林地区敬老会

...............................................................撮影:旧奥上林小学校 体育館
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9月16日の日曜日、旧奥上林小学校の体育館を利用して地区敬老会(地域振興協議会の主催)が開催された。来賓挨拶の後、長寿の方々に記念品が贈呈された。そして、小・中学校児童による敬老作文と合唱・太鼓演奏などでお祝いした。

一般からは、歌、詩吟、舞踊、大正琴やギターなど盛り沢山の演芸が披露され、日頃鍛えた技で参加者を楽しませた。そして、「音に聞こえた近江の太鼓 7里七里鳴り響く」とまで唄われた近江の十二社神社に保存されている周囲4.4メートルもある大太鼓、上林太鼓保存会メンバーによる迫力ある演奏が有終の美を飾り、拍手喝采に包まれて敬老会は終了した。

本日の招待者(70歳以上)は381名、奥上林人口の56%を占めるという。23%だった20年前と比べるとその比率は2.4倍にもなり、人口の減少とあいまって急激な少子高齢化と過疎化は津波のように押し寄せてきている。

<敬老の日 一口メモ>
敬老の日は、年15回ある国民の祝日の一つ。国民の祝日に関する法律では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨とし、1966年に制定された。元々は9月15日だったが、2001年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度の適用)によって、2003年からは9月第3月曜日となった。

これは、兵庫県多可郡野間谷村の門脇政夫村長が1947年に提唱した「としよりの日」が始まりで、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」と定めたものが兵庫県に広がり、日本の法律になったそうだ。諸外国にはない日本だけのものという。

投稿者 ryokudo : 16:05 | コメント (0)

2007年08月21日

あやべ水無月まつり(No.2)

.................................................................................撮影:綾部市 若松町
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<花火 一口メモ>                    (前回の続き)
花火は江戸時代から続く日本の素晴しい技術。そして、花火と云えば大阪府富田林市の「PL花火芸術」が国内最大級。70分間で12万発が打上げられるそうだ。1分間に換算すると1,714発にもなり想像を絶する打上げ数だ。今年は、私の家内もバスツアーで見物に行って来たが、間断なく打ち上がる花火に圧倒されたという。

ちなみに、一発の花火の大きさでは新潟県長岡市の正3尺玉。今年は4発が打ち上げられる。この花火、直径90 cmで300 kgの重さがあり、中に入れる「星」は1,000個以上だ。7秒半掛かって600メートル上空で爆発し、直径650メートルの大きさに広がって夏の夜空に輝くそうだ。

花火の玉は、外側に近いところに光を出す「星」と呼ばれる火薬を並べ、中央部には星を吹っ飛ばす火薬「割薬」が詰めてある。色を出すのは各種の金属が使われる。赤色は炭酸ストロンチウム、青色は酸化銅、金色はチタン合金、硝酸バリウムは緑色など。

大正時代に打上げられていた3尺玉を復活させ、新潟県長岡市を花火のメッカとしたのが花火界の第一人者嘉瀬誠次さん。ロス五輪やオーストラリア、ブラジル、ロシアなどでも打上げ、海外からの叙勲もあるそうだ。(週刊ポスト「メタルカラーの時代」参考)

投稿者 ryokudo : 13:27 | コメント (0)

2007年08月16日

あやべ水無月まつり(No.1)

.................................................................................................撮影:若松町
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夏の夜空に輝く花火。日本各地で夏を楽しむ催しが開かれているが、ここ、綾部市でも百余年の伝統を誇る「あやべ水無月まつり」(同まつり実行委員会主催)が由良川河畔を中心に行われ、多くの見物者は真夏の一時を楽しんだ。

 西町アイタウンでは「あやべよさ来いおどり」、JR綾部駅南広場では「由良川ロックフェスティバル」そして、由良川河畔では「平和祈願万灯流し」が行われ、平和を願う人々の名前が書かれた灯籠が川に浮かべられた。そして、宵闇が迫る8時頃からは4,000発の花火が打ち上げられ夏の夜空に輝いた。

 筆者も、40数年振りに見物し、その華麗な花火の祭典に感動した。タマヤ ~~~。今年は、綾部市街から入浴に来て頂いている山本さんの自宅に招かれ、夜食を頂きながらの花火見物となり、この上なく幸せな一時を過ごした。写真は、その山本さん宅の2階から撮ったもの。ちなみに、山本さんは京都市内で不動産業を営まれておられるが、現在は、療養をかねて1人で若松町の実家にお住まいだ。

 5月の菖蒲湯の時には、小西町まで菖蒲の採取に付き合って頂いた。また、筆者の畑で3時間も話し込んだことがある。職業柄、様々な体験をされており新鮮な話題も豊富であり、何より他人を想う暖かい気持ちと飾らない人柄はとても魅力的である。受付けのパートナー共々、元気なお顔を拝見できるのを楽しみにしている。(次回に続く)

投稿者 ryokudo : 11:52 | コメント (0)

2007年07月29日

薬草教室

.........................................................................撮影:あやべ温泉 二王館
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7月13日、あやべ温泉「二王館」および「薬草の森」を利用して薬草教室が開催され、参加者は「薬草と健康食品」について学習した。これは、(財)綾部市みどり公社が毎年主催されているもので、今年で第8回を迎える。

午前中は、二王館大広間で薬草の効用や食品としての食味や食能についての説明が行われた。そして、昼食は当館の中村料理長自慢の薬膳料理を食し、舌鼓を打ちながら味付けや食能についての話題で賑わった。また、小雨降る中、あやべ温泉に近接する「薬草の森」公園で栽培されている薬草(168種)/薬樹(83種)を見学した。

講師は、昨年に続いて京都薬科大学の生薬学が専門の松田久司准教授。先生は、和漢生薬学会の理事でもあり、ガンやアレルギーの探査研究をされており、その論文は260点にも達するそうだ。深い知識と分かりやすく説得力のある説明には畏敬の念を感じる。

28名の参加者は、1人を除いて全て女性。食と健康に関しては男性よりも関心が深いということだろう。丁度、筆者も矢野社長から借用した「自分で治す 草と野菜の常備薬」(著者:一条ふみ)を読んでいたところでもある。ヨモギやドクダミなどはこの地域にも沢山ある。健康を意識する年齢でもあり、これを機会に食養(健康維持)と食療(治療効果)について考えてみたいと思う。

投稿者 ryokudo : 17:15 | コメント (0)

2007年06月30日

ほたる祭り

.........................................................................撮影:中上林 八津合町
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 上林山荘のある城山の周辺を利用してほたる祭りが開催された。夜8時20分、あちこちの河川から集められたホタル3,400匹が高い櫓の上から一斉に放されると、会場を埋め尽くした数千人の参加者からは大歓声があがった。
   
 ほたる祭りは、地域振興協議会 ほたる祭り実行委員会(委員長 四方英生)が主催するこの地域最大のイベントで、大勢の地域の人々の参加と協力により継続して開催されており、今年で26回目を迎える。

 この日は、模擬店が20店舗余りも並び、参加者は地元の方々の手作りの味に舌鼓を打った。琵琶湖から仕入れたという天然アユの天婦羅も美味かった。また、河川敷の仮設池ではウナギやナマズのつかみ捕り、メイン会場では「良さ来いおどり」や上林太鼓の演奏など多くの催しが披露され、遠来客は土曜の午後の一時を満喫した。

 ホタルの幼虫の餌はカワニナ。近年、上林川や支流の河川の水質汚染もかなり改善され、カワニナやシジミ、タニシやドジョウなどもたくさん生息するようになり、ホタルが蘇って来た。また、あやべ温泉近くの山内川では、上林中学生によるカワニナ放流が行われている。それらの成果もあって、ここにも多くのホタルが飛び交っている。
 
 日が沈むと、上林川を跨ぐそれぞれの橋の上からは数え切れないほどのホタルが飛び交い、その光が水面に映り幻想的な夜景をかもし出しているのが見られる。ブログ閲覧の皆様方も是非、ホタルが飛び交う自然豊かな上林の夜景を楽しんで頂きたい。

投稿者 ryokudo : 16:24 | コメント (0)

2007年06月12日

府道一号線

..................................................................................撮影:奥上林 睦寄町
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府道1号線は、綾部市の山家から老富町までの約30km。そして、福井県に入ると県道1号線につながり若狭本郷までを結ぶ約45kmの道路である。最近では、大型トラックが国道27号の抜け道としてよく利用している。また、夏季には京阪神などから日本海へレジャーに来られた方もよく此処を通られている。

この道は、あやべ温泉ができた10年ほど前から毎年、部分的に工事が進み、曲がりくねって運転しにくいところは山を削って直線となり、側道を含めた道路巾は12 mを超え、たいへん綺麗に整備されて走りやすくなった。

ちなみに、あやべ温泉は、写真の看板に沿って1km左に入ったところにある。国道27号の山家からは17km、自家用車だと20分で来る。公共交通機関としては、綾部市が経営する「あやバス」が1時間ごとに運行されており、JR綾部駅からは45分だ。

最近、綾部市とおおい町、小浜市が観光交流協定を結んだ。二市一町は、府道・県道1号線や舞鶴若狭自動車道で結ばれ、道路沿いには有力な観光資源が点在する。綾部市東部地域には、あやべ温泉や黒谷和紙工芸の里、国宝の二王門や大栃の木などがある。

また、農漁業を都市部の人に体験してもらうグリーンツーリズムも充実させ、過疎高齢化が進む綾部市東部の活性化につなげたいとの思いがある。今後、観光ツアーの創設や観光パンフレッド作成など二市一町連携による相乗効果で集客力アップを目指すという。

投稿者 ryokudo : 13:37 | コメント (0)

2007年05月20日

頭巾山 雨乞い催事(No.3)

.................................................................................撮影:頭巾山 ぶな林
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<古和木権現 一口メモ>                (前回の続き)
古和木権現(十二社権現)は頭巾山の山頂に社があり、毎年4月23日がお祭りで、昔は綾部や福井県、美山町からも沢山の人々がお参りしたそうだ。

その謂れについては、奥上林村誌からの引用として、昭和60年「仁王の村」で発行された小冊子『かたりべ』で語り継がれている内容を紹介する。ちなみに、「かたりべ」の執筆者は、今回、頭巾山へ案内して頂いた古和木の森藤自治会長である。

平安時代の初期、清和天皇の御代の天長元年。京都地方はかってない大干ばつに見舞われました。天皇が守敏僧都に命じて、雨乞い祈祷をさせたところ7日目になって待望の雨を見たのでしたが、この雨は京都の町を潤しただけで地方までは及ばず、住民の苦しみは一向に救われませんでした。

そこで天皇は、弘法大師に雨乞い祈願をするよう命じられたのでした。命を受けた大師は神泉苑で一心に祈願したが効き目はなく住民の苦しみは増すばかりでした。不思議に思った大師は「これはきっと、前に雨乞いを行った守敏僧都が術を使って、雨を呼ぶ龍を封じ込めたに違いない」と気づき、祈りの法を変えて、再び祈願したところ大雨に恵まれ、人々は日照り続きの苦しみから救われたという。

その時、放たれた龍の一つが頭巾山に住み着くようになり、人々は雨の神様、古和木権現としてお祈りするようになったそうだ。

投稿者 ryokudo : 14:56 | コメント (0)

2007年05月11日

頭巾山 雨乞い催事(No.2)

................................................................................... ..撮影:頭巾山 山中
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 (前回の続き)
 頭巾山は、標高871mの京都府屈指の高山でブナやナラ、栃の木などの落葉広葉樹林が広がる自然豊かな山岳地帯である。あやべ温泉に来館された登山好きのお客様の中には、此処へ登山してから汗を流しに立ち寄られる方が時々おられる。

 この日も、この地域の出身者で都会にお住まいの方がご一緒された。ここへは一人でよく来られるそうで山のことを大変よく知っておられ、どの尾根に、どんな植物が生息しているかを詳しく説明をして頂き、頭巾山のことをよく知ることができた。

 写真はブナの老木に着生した「ヤシャビシャク」だ。根付いて何年かすると緑色の可愛い花が咲くという。案内して頂いた男性は先に下山して待っておられ、採取して来た可憐な花が咲いたこの植物を見せてもらった。筆者は緑色の花を初めて見た。

 また、頭巾山の尾根には沢山のコブシが咲いており、風に揺られて1枚、2枚と花弁を落としていた。コブシの後には一面シャクナゲが咲くという。本当に綺麗だそうだ。いつの日か機会があれば見に来たい。そして、山の反対側の美山町や大飯町の方へも下山し、奥上林とは違った景色、人々の生活にも触れてみたいと思う。(次回に続く)

投稿者 ryokudo : 16:05 | コメント (0)

2007年05月05日

頭巾山 雨乞い催事(No.1)

.......................................................................................撮影:頭巾山 山頂
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 4月22日、小雨降る強風の中、綾部市古和木と福井県大飯町、美山町山森の3地区の住民20人余りが頭巾山の山頂に登り「十二社大権現」にお参りした。今年の先達の大飯町名田庄納田終の代表の方が社を綺麗に清掃してロウソクを灯し、お神酒を供え、全員で般若心経を唱えた。

 これは、頭巾山の北麓、綾部市古和木地区で古くから行われている雨乞い催事である。(No.3 で紹介)しかし、今では少子高齢化でお参りする人も少なくなってきたことから、数年前からは先の3地区が持ち回りで先達を勤め、お参りを行うようになったという。

 頭巾山は標高871mの京都府屈指の高山で、北は福井県、南は美山町との分岐点にあり、山頂の十二社大権現の境内は古和木地区に属し、本殿は美山向きに建立されている。現在の社は昭和57年、綾部市古和木の八木次男さんによって新築され、600kgの社をヘリコプターで山頂まで運ばれたそうだ。(奥上林村誌から)

 筆者も、このブログを担当した2年前から是非一度はここへお参りし、取材をしたいと願っていたが、この度は古和木の森藤自治会長に無理をお願いし、ご一緒させて頂いた。科学の発達した現代、雨乞い催事を行うことの意味は薄れてきているが、先祖が大切にしてきた伝統は形を変えて今も受け継がれている。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 14:33 | コメント (0)

2007年05月02日

二王門への参道清掃

..................................................................................撮影:君尾山 光明寺
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 駐車場から光明寺二王門への階段は330段ある。その光明寺の祭りが開催される4月18日の直前の日曜日、楳林和尚や寺の関係者そして、君尾山を守る会のメンバーなど20人近くが集まり、落ち葉に埋もれた参道の階段清掃が行われた。

 この参道は、あやべ温泉の姉妹施設である二王公園が開館した10数年前、綾部市の東部観光開発の一環として、あやべ温泉や光明寺への参道(車道)と合わせて建設されたものだ。それまでは、雨に削られて苔むした獣道に近いものであったが、今ではヒールを履いた女性でも気楽に歩けるようになった。

 二王門は君尾山の中腹にあってあやべ温泉からは車で約10分、徒歩では45分位で行ける。春真っ盛りのこの時期、新緑の若葉を目にし、小鳥たちのさえずりを聞き、頬に春のそよ風を受けながら落葉広葉樹林が覆いかぶさる樹木トンネルの階段を登ってみてほしい。

 そして、鎌倉時代に建てられた三間一戸の朱塗りの二王門(国宝)の柱に触れ、その重みと坊舎72軒が建ち並ぶほどに隆盛を極め、近代仏教を開花させた当時の人々に語りかけてみて頂きたい。現代の私たちが無くしてしまった何かを思い出しながら・・・。

投稿者 ryokudo : 14:25 | コメント (0)

2007年04月15日

山家城跡 さくら祭り(No.2)

................................................................................撮影:亀岡市 七谷川
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(前回の続き)
山家城跡さくら祭りにちなんで日本を代表する花、サクラにまつわる彼是を紹介したい。

 華やかに春を彩る桜の名所は各地にあって、多数の方々が訪れ花見をする様子がテレビや新聞などで紹介されている。関西では奈良の吉野、大阪造幣局の通り抜け、京都の嵐山と東山の円山公園などはよく知られている。

写真は、筆者の住む亀岡市千歳町の桜並木。愛宕山系七つの谷から流れ込む七谷川の堤防に咲く2,000本の桜トンネルは、樹齢70年のソメイヨシノが2 kmに渡って続く。この「和らぎの道」は夜桜も楽しめ、訪れる花見客はその幽玄さに感動する。

筆者は2年半前に単身Uターン帰郷してあやべ温泉でお世話になり、現在も楽しく勤務させて頂いているが、毎週3日ほどは家族のいる亀岡で過ごしている。その全くの個人的な繋がりでこの桜を紹介している。読者の方々も、機会がありましたら是非、一度は見に来てほしい。

<サクラ 一口メモ>
250以上の品種があるサクラはわが国を代表する花木の一つ。春の訪れと共にいっせいに咲き始め、南から北へと春を告げながら北上する。桜前線の基準は、日本の大部分では染井吉野、沖縄ではカンヒザクラ、南部と北部を除く北海道ではオオヤマザクラ、そして、北海道東部では千島桜だという。


ご意見、ご感想をお待ちしています。
http://www.ryokudo.net/blog/

投稿者 ryokudo : 14:46 | コメント (0)

2007年04月13日

山家城跡 さくら祭り(No.1)

................................................................................撮影:山家 広瀬町
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 上林の玄関口に山家という地がある。上林川が由良川へ流れ込む合流点でもあり、国道27号から府道1号を通ってあやべ温泉を訪れる入口でもある。4月始めの日曜日、山家城跡公園でさくら祭りが開催され、近隣から多数の見物客が訪れて満開の桜の下で春の一日を楽しんだ。

 この祭りは、地域の人たちのふれあいの場として長年に渡って継続されており、今年で32回目を迎える。公園内ではカラオケ大会、山家太鼓や東綾中学校のサムルノリ演奏、プロの演歌歌手 大空美樹の歌謡ショーと福餅まき(写真)などが行われ、華やかに祭りを盛り上げた。

 山家城は、天正10年(1582)戦功により谷衛友が16000千石で豊臣秀吉から与えられたものだ。関が原の戦い(1600)の時、石田三成の命により西舞鶴の田辺城に據る細川藤孝を包囲するも「谷の空鉄砲」の名を残した本領安堵以来、江戸時代は徳政を施し、他領に多発する百姓一揆もここでは上林九村の正徳(1712)のただ一度のみだという。(上林九村:水梨、市志、辻、光野、市茅野、栃などの村々)

 公園内にある資料館には、山家を統治した歴史とその関連資料が年代順にきれいに整理されて陳列保管されている。来賓として招かれた奥上林自治会の熊内輝夫連合会長と一緒に見学しながら、当方にもこのような資料館がほしいものだと思う。6月には、奥上林最大の催しである二王公園祭が行われる。連合会長はその研修を兼ねて来たという。ここでは、各自治会が相互に助け合い支援しながら地域社会を支えている(次回へ続く)

ご意見、ご感想をお待ちしています。
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投稿者 ryokudo : 17:19 | コメント (0)

2006年12月30日

餅つき大会

......................................................................................撮影:あやべ温泉
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 師走も押し迫った24日の日曜日、あやべ温泉の施設を利用し、地域の大勢の人たちが参加して餅つき大会が催された。参加者は、昔ながらの杵でついた、つき立てのお餅を善哉にしたり、きな粉や大根おろしをつけたりしながらお腹一杯に食べ、年末の休日を楽しんだ。

 昨年は、12月中頃に降った大雪のため二王館内ロビーを使用したが、今年は天候にも恵まれて師走の風を頬に感じながら、女性や子供たちが初めてもつ杵の重さによろけながらカメラやビデオのシャッターを押していた。  

今年の予約者は17名、搗く餅の量は52臼。昨日からテントや資材を持ち込み、今朝は朝早くから餅米を蒸し、その準備に大わらわである。

 これは、あやべ温泉の施設を利用して、京都丹の国農協東部オペレーター部会が主催する催しで、今年で3回目となる。「もち米はあるがつくところがない。楽しみながら正月の餅つきができないだろうか」との地域の人たちの声を聞いて始められたそうだ。

 過疎と少子高齢化が進む里山地方ではあるが、地域に住む者が相互に助け合い、楽しみを共有する中で気さくな人間関係が育まれる。ここにもまた、上林のチカラがある。

投稿者 ryokudo : 14:50 | コメント (0)

2006年12月01日

安国寺もみじ祭り(No.2)

.........................................................................撮影:東八田 安国寺町
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                                (前回の続き)

 初めて訪れた筆者に、熱心に説明して頂いた藤本和尚の話をもう少し続けたい。

 当寺は、禅宗の臨済宗東福寺派に属する寺。西暦4年(1252)の開創当時は、地蔵菩薩を本尊として祭られていたが、建長4年(1305)上杉領となってからは上杉氏の菩提寺となり釈迦三尊像を合わせて祀ったという。写真中央が釈迦如来、左にゾウに載った普賢菩薩、右は獅子に乗った文殊菩薩である。

 暦応元年(1338)足利尊氏は室町幕府を開き国ごとに安国寺を建立したが、これは、天下を統一した祈願と合わせて、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるためである。戦を生業とした武将たちは必ず、氏寺を持っていたという。

 京都では、室町時代の中期、室町幕府官僚の細川勝元と守護大名の山名宗全らによる11年間に渡る応仁の乱によって多くの寺院や仏像が焼けたことから、当寺の釈迦三尊像は南北朝時代の形を伝える数少ないものである。

<足利尊氏一口メモ>
 鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。足利幕府(室町幕府)の初代征夷大将軍。正式名は源尊氏。八幡太郎義家を祖とする河内源氏の名門足利氏に生まれ嫡子となる。新田義貞と共に鎌倉幕府を倒し、1336年神戸湊川で新田義貞・楠木正成を破り後に室町幕府を開いた。尊氏を主役にした吉川英治著の「私本太平記」はNHKでもドラマ化された。

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2006年11月21日

小学生の体験学習

..................................................................................撮影:あやべ温泉
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 上林小学校の児童16名があやべ温泉へやってきた。11月13日の休館日は、浴槽のお湯を排水し、清掃を行って新しいお湯に入れ替える日だ。小学校4年生の男子4名、女子12名は清掃業者の指導の下、キャーキャーとはしゃぎながら元気にブラシを使用してタイルの汚れをきれいにする浴槽清掃の体験活動をした。

 これは、京都府の補助事業として綾部市教育委員会が推進する「京の子供夢・未来体験活動」の一環である。子供たちが体験活動を通して、将来への夢と希望を持って、力強く生きようとする意欲や態度をはぐくむことを目的に実施されるものだ。

 対象学年は、小学校が4年生、中学校は2年生が原則とされている。中学生の場合は、今年の6月初めに20人が綾部温泉に来て、二王の湯の受付けや売店、薬草公園などに分かれて体験活動を行った。その様子は、このブログでも紹介したとおりだ。

<筆者のひとり言>
 300年前の世界総人口は約5億人、現在は65億人で放物線状に増加しているそうだ。反面、世界に類のない経済発展をとげ、豊かになった日本ではあるが全く反対の傾向にある。この上林の児童の推移を見ると団塊世代の上林中学校は1学年で170人だった。今の中学2年生は20人、小学4年生が16人、1年生は9人だという。子供は国の宝というけれど、このスピードで少子化が進めば日本は、そして、この上林はどんな地域社会となるだろう。


 

投稿者 ryokudo : 14:12 | コメント (0)

2006年11月19日

旅の女性(農家民泊者)

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,撮影:旅の女性(農家民泊者)
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 スゥちゃんのピアノ演奏を聞く催しが、農家民泊の若杉さん宅で開かれ、ご家族やお友達が大勢集まり素晴しい演奏に聞き惚れた。鍵盤を打つ指は魔法のようにしなやかで、ショパンやリストなど7~8曲を時には激しく、時にはやさしく、そしてリズムカルに聞くものの心に響いた。スゥちゃんは横浜生まれでちょっとハニカミヤの24才。幼い時からピアノに親しみ、札幌大谷短期大学(音楽科)で磨きをかけて来た。

 塚本純江さんが、若杉家を訪ねたのは3週間ほど前だ。自然素材(野草、雑穀、土鍋など)の料理研究家であり、各地で料理教室を開催している若杉典加さんのお母さんのことを知り、ぜひ会ってみたいと上林にやって来た。そして、典加さんと一緒に農作業などをしながら3人の子供たちとも仲良く過ごし、楽しく上林の生活を体験できたという。

 彼女は、北海道瀬棚のフリースクールで塾生として数年間、乳牛の搾乳サイクルに合わせた生活を過ごした。そこでWWOOFに出会って将来は農的な仕事に携わりたいと願い、体験学習の場を求めて北海道から九州までの日本各地を旅している。秋田、岩手、長野、和歌山などで農的な生活を体験し、10月初めに上林へやってきた。11月からは次の目的地である富山へ行くそうだ。自分の進む道を見つけた女性は強く、生きいきと輝いている。

 WWOOF(ウーフ)は、金銭のやり取りなしで「食事・宿泊場所」と「労働力」を交換する仕組みであり、「有機農場や環境を大切にする人達」と「そこで働いてみたい人達」をつなぐことを目的とした組織である。
筆者とは、野外の餃子パーティーやあやべ温泉、そして君尾山「大栃ノ木」の見物などでお知り合いになった。旅の終わりにもう一度お会いしたい女性である。

投稿者 ryokudo : 11:29 | コメント (0)

2006年11月04日

黒毛和牛(No.3)

...........................................................................撮影:奥上林 故屋岡町
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                              (前回の続き)
<和牛一口メモ>
 牛の家畜化は、紀元前6000年頃に西アジアで行われたという。わが国へは、稲作の始まった弥生時代の紀元元年から400年頃にアジア大陸から家畜化されたものが移住者によって持ち込まれたそうだ。

 かって、牛は農家の住居の一角で家族の一員として飼われ“農宝”と呼ばれ大切にされていた。これは、牛が農作業や物の運搬にその力を発揮し、糞尿はきゅう肥として田畑を肥やすのに欠かせなかったからだ。しかも、牛の飼料は、人間が直接食料として利用できない草類や稲ワラなどでよかったからである。

 ISO14000などの環境保全活動では、3 R (リデュース、リユース、リサイクル) で廃棄物の削減と云うけれど、再使用や再資源化はこの時代から進められていて、農薬や化学肥料などを使用しない有機農法があり、まさに、それは循環型社会そのものである。

 幼い頃、筆者の家にも和牛を一頭飼育しており、田んぼの耕作や荷物の運搬によく働いてくれた。そして、飼料としての草刈りは日課でもあった。また、夕方になると大きな専用の鍋で飼料づくりやブラシでの毛並み揃えなど、いろいろと世話をしたことを今、懐かしく思い出す。


投稿者 ryokudo : 14:58 | コメント (0)

2006年10月28日

八幡神社の秋祭り

................................................... .......................撮影:中上林 八津合町 
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 何時もは静かな境内も、今日ばかりは朝早くから大勢の氏子達が集まり、にぎやかで華やいだ1日となった。10月15日(日)晴天に恵まれた秋空の下、中上林 八津合町にある八幡神社では2年に一度の秋祭りが行われた。

 紋付袴に身を包んで槍や鉾、旗などを持ちながら長い行列の最後に、金色に輝く神輿が法被姿の男たちによって担ぎ出され、ワッショイワッショイの掛け声とともに村々を練り歩いた。行先は、石橋 城山の上り口に祭られている金毘羅宮のあるお旅所だ。

 この八幡宮、全国に4万社ある八幡神社の1つとして、建武2年(1335年)京都の岩清水八幡宮より勧請。関が原合戦の翌年、慶長6年(1601年)上林城の城主である藤懸永勝の領地となり、江戸時代には領主の篤い保護を受けたという。

 ひと昔前、この祭りは2日間に渡って行われるほど賑わって、神輿はお旅所で1泊したそうだ。今では過疎化、少子高齢化の時代の流れの中、このような行事をとおして11の自治会が協力しながら相互に助け合い、若者達を中心に連帯感を育んでいる。

<祭り一口メモ>
 江戸時代、祭りは正月と共に地域の最大行事であり、老いも若きも指折り数えてその日を来るのを待ちこがれた。常日頃おさえつけられた民衆は、この日に1年の憂さを晴らし、快くない庄屋や役人の家へ神輿をかつぎこんで暴れたりした。また、若者達にとっては男女交際を許された日であり、村人をあげて祭りを楽しんだという。

投稿者 ryokudo : 14:42 | コメント (0)

2006年10月23日

黒毛和牛(No.2)

...............................................................................撮影:故屋岡町 川原
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(前回の続き)
杉本さんが飼育を始めた昭和55年当時、奥上林では13件の農家で和牛を飼っていたが、今では古和木の三木さんと2人だけになってしまったそうだ。過疎と少子高齢化が津波のように押し寄せ、最盛期3,000人近くの人口が今では690人に減ってしまった。そして、政府の減反政策と重なって米づくりも減り続け、今ではあちこちの農地が放置され、耕作する人もなく荒廃してきている。

杉本さんの奥さんは、荒れつつある近くの田んぼを見ながら、これを利用して牛を放牧し、草を食べさせたら綺麗にもなり、お互いに助け合うことができる。そのような話ができる場を作り、みんなで上林を元気にしていければと熱く語られる。

ところで、和牛には生まれたときから一頭一頭に名前がついていて証明書が発行されており、いつ、どこで生まれた、どんな牛かがすぐに分かるそうだ。その戸籍管理をしているのが全国和牛登録協会だ。ちなみに、牛の鼻頭のシワ模様は、人間の指紋のようにそれぞれ異なり、このシワで固体判別をするという。

 今、アメリカ産牛肉の輸入が再開され議論を沸かせているが、日本で食べる牛肉の半分は和牛であり、その1/3が黒毛和牛だという。この牛は、明治以前から日本で飼われてきた肉質がきめ細かく、我が国が世界に誇る「肉専用種」である。(次回へ続く)


  

投稿者 ryokudo : 10:10 | コメント (0)

2006年10月16日

黒毛和牛(No.1)

.............................................................................撮影:故屋岡町 川原
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 府道1号線沿いにある杉本さんの家の前の牧場には、11頭の黒毛和牛が放牧されており、いつも下を向いて美味しそうに草を食べている。カメラを向けると顔を上げ、親しげな目を向けて興味深そうに近寄ってくる。この牧場では、11頭のメス牛に毎年種付けをおこない、子牛を誕生させて肉牛として出荷されている。

 現在、子牛は10頭が別棟で飼育されている。親牛の負担を少なくするため、生まれてから4ヶ月経つと親牛と離して育てるが、この時、とても悲しがるため10日ほどかけて徐々に慣らしていくという。そして、9ヶ月で出荷されるそうだ。

 牛は、定年後にも飼えると考えて昭和55年から飼い始め、ご主人が勤務の傍ら奥さんと二人三脚で世話をされて来られた。生き物である牛は、気が抜けないことが多く労力もいるが、草などを美味しそうに食べるのを見るとその疲れも癒されるという。また、清潔感を好み、寝床の籾殻を新しいのに変えてやると寝転がって喜ぶそうだ。

 杉本さんは、19歳のとき四国の高知県からこの上林へ来られた。会社勤めをしながら和牛を飼育され、今では4ha(12,000坪)の田んぼを耕作するこの地域では一番の農家でもある。そして、家庭では5人のお孫さんに囲まれた3世代の家長として、また、地域の自治活動でもいろいろな役割を担って元気に活躍されている。ちなみに、あやべ温泉 月例杯パターゴルフ大会の第1回の優勝者でもある。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 14:43 | コメント (0)

2006年09月19日

烏骨鶏(No.2)

......................................................................................撮影:睦寄町 草壁
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                             (前回の続き)
<烏骨鶏一口メモ> 
別名「錦糸鶏」そして、鶏の女王と言われる烏骨鶏は中国江西省が原産地だという。絹糸状のきれいな毛を掻き分けると皮膚が紫黒色をしており、骨や肉、内臓、卵巣や睾丸にいたるまでメラニン色素を持っているため黒い身体をしている。このことからカラスのように骨まで黒い鶏なので「烏骨鶏」と呼ばれるようになったそうだ。

アルカリ性食品のため血流を良くし、免疫力や自然治癒力を高める作用に優れていることから糖尿病や高血圧に効果があり、中国では1500年以上前から漢方薬として、薬膳料理や美容食として使用されてきた。肉、骨、内臓、卵から羽毛にいたるまで全てを用いた漢方薬が古来より滋養強壮や不妊症にもたいへん良いそうだ。

日本へは17世紀、江戸時代初期に漢方薬を集大成した中国の大著「本草細目」と共に伝えられ、その愛らしさから愛玩用として大名をはじめ時の権力者や富豪に飼育されたという。そして、昭和18年には国の天然記念物に指定され「種の保存」が図られている。

岡本さんの卵は、あやべ温泉の売店で販売している。市価と比べてかなり安く売られており、入荷を心待ちにされている固定客も多いそうだ。健康を気にする年齢となった筆者もこの機会に一度は食してみたいものだ。

投稿者 ryokudo : 14:48 | コメント (0)

2006年09月12日

烏骨鳥(No,1)

.....................................................................................撮影:睦寄町 草壁
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草壁の岡本さんの鶏舎には70羽程の烏骨鶏が飼育されており、昼間は鶏小屋から自由に出入れして、畑へ行ったり木陰で休んだりしながら思い思いの1日を過ごしている。 岡本さんが「来い来い」と云いながら餌をやると遠くから小走りで戻ってくる。

烏骨鶏は9年程前から飼い始めたそうで、今ではメス50羽、オス8羽、ヒヨコ10羽になるという。この鶏は年に40~50個程の卵しか産まないが、毎日産む鶏は半月産むと2ヶ月間ほど休むそうだ。

一般に、大きな鶏舎で大量に飼育している養鶏場は550日経つと全てを新しい鶏と入れ替えて役目を終えた鶏は肉にされるが、ここでは、卵を産まなくなっても死ぬまで飼っておられるそうだ。鶏舎の1つが別小屋(ケアハウス)となっていて、老いた鶏が1羽、羽を休めていた。岡本さんの鶏への思い、そして、人柄が感じられる話である。

岡本さんは、10年前に勤務されていた会社を定年退職され、生まれ故郷のこの地へUターン帰郷された。元の勤務先では乳牛を見る仕事をされており、獣医の資格を持っていて、この上林では鶏にワクチンを飲ます仕事もやっておられるそうだ。

今では、3人の子供さんはそれぞれ独立されており、ここでは、奥様と2人でお米や野菜を作りながら地域の自治活動にも積極的に参加され、悠々自適の生活を楽しんでおられる。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 16:01 | コメント (0)

2006年09月05日

あやべ温泉まつり(第3弾)

..................................................................................撮影:奥上林 睦寄町
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 あやべ温泉まつり第3弾「ライブ イン カンバヤシ フォレスト」は、8月20日の日曜日駐車場に設置した特設ステージにおいて、地域のアマチァバンド5チームが参加して熱いライブパフォーマンスを繰り広げ、大勢の観客を魅了した。

 炎天下の3時から始まったイベントは、夏の暑さとともに盛り上がり、日が暮れてからは照明に点灯してのナイターライブとなり、夜8時30分のナイアガラ花火でファイナルを迎えた。この花火、地元の方が勤務されている会社のメンバーがボランティア的にやっておられるそうだが、幅40メートルに渡っての光の滝となり参加者からは大きな歓声が上がるほど素晴らしいものであった。

 この他に、地元上林の有志による模擬店、そして女性10数人による「良さ来い踊り」なども行われ、大人も子供も若者もみんなが楽しめるお祭りであった。まさに、残暑を吹き飛ばす熱いイベントとなった。

 あやべ温泉は、温泉成分のメタホウ酸が浴槽内で基準値の5倍以上あるたいへん良質のお湯であり、北近畿にある数多くの同業施設の中でもお客様の評価の高い温泉です。また、上林の大自然の中にあって、落ち着いた雰囲気は忙しいあなたに安らぎを与えてくれる筈です。ぜひ、一度、ドライブをかねてご来館ください。

投稿者 ryokudo : 13:36 | コメント (0)

2006年08月19日

上林川を美しくする会

..................................................................,...撮影:中上林 川東橋付近
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 7/16(日)、上林川を美しくする会とボランティアのメンバー40数人が参加し、上林川の堤防の中に背丈より高く生えこんだ葦刈りをした。これは、4部会の1つである景観保全部会の活動で毎年2回程行われている。

 今年、葦刈りをした距離は、7里(28Km)の上林谷を流れる川の長さの1%にも満たないが、百里の道も一歩からの例えのとおり、小さなことの積み重ねが大切でもあり、継続することが力になると信じたい。そして、流域の人々が美しい川を誇りに感じられることを願っている。

 上林川を美しくする会は、市民・事業者・行政の協議により環境保全に対する自発的な取組を行い、清流をよみがえらせ、次代に引き継ぐことを目的として、平成13年に設立された。この会の活動には、先の「景観保全部会」に加え、「排水を考える部会」、「水質保全部会」そして「啓発部会」がある。

 年6回実施している水質検査では、透視度やDO(溶存酸素量)、BOD(生物化学的酸素要求量)、SS(浮遊物質量)、全窒素、全リン等を比較してみても、清流四万十川にも劣らぬ結果が出ているそうだ。
 葦刈りの後は、口上林十倉向町で行われている「川まつり」に参加し、様々な模擬店がつくる料理を食べながら参加者相互の親睦を図った。

投稿者 ryokudo : 14:44 | コメント (0)

2006年08月08日

川まつり

..............................................................................撮影:口上林 十倉向町
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 7月16日、口上林十倉向町の上林川河川敷において第11回目の「口上林川まつり」が開催され、様々な模擬店が並び、多くの人が参加してにぎわった。

 例年のとおり、数々のイベントが計画されていたが、前日の雨で川が増水したため「渡し舟」と「いかだ尻相撲」は中止された。初めて見学した筆者も、矢切の渡しならぬ上林川の渡し舟にはぜひ乗ってみたいと思っていたが残念・・・。

 当日は、陸上自衛隊福知山音楽隊が、沖縄の伝統芸能「エイサー」を披露し、東綾中学校やるんびに学園の子供たちも「太鼓演奏」でまつりを盛り上げた。また、「魚つかみ」では、沢山の鮎とうなぎが人口河川に放流され、多くの子供たちが魚を求めて水の中を走り回った。(写真)

 この他に、黒谷和紙工芸の里による和紙製品の販売や東綾小PTAのスイカ割り、上林川を美しくする会のパネル展示なども行われた。初夏の上林は、奥上林の二王公園まつり、中上林の蛍まつり、そして、口上林の川まつりとイベントが目白押しであり、とても賑やかだ。この地域にも過疎と高齢化は津波のように押し寄せてきているが、参加した人々はとても元気に年1回の川まつりを楽しんでいた。

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2006年06月20日

職場体験学習

............................................................................撮影:あやべ温泉
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6月7日と9日の2日間、上林中学校2~3年生の生徒20名が、職場体験学習としてあやべ温泉に来られた。これは、毎年この時期に実施されているもので、生徒たちが実際に働いてみて仕事の厳しさややりがいなどを体感することが目的だという。

これは、上林中学校の生徒42名が、それぞれ各学年別に訪問先を決めて実施されているもので、あやべ温泉以外では郵便局や保育園、そして、老人ホームなどへ行かれているそうだ。

あやべ温泉に来られた生徒さんは3グループに分かれて、温泉の受付けや二王館の売店、室内の清掃、レストラン厨房、そして、薬草公園などの職場を体験して頂いた。
後日の感想文には「温泉受付けは、始まるまでに準備やお風呂の清掃があって大変だった。挨拶が大事で、しようと思うけれど、なかなか恥ずかしくてできなかった。また、姿勢よく立っているのもしんどかった」との意見を出されていた。

体験学習の後は、温泉に入浴された生徒さんもおられ、短い時間ではあったが有意義な一時を楽しんでもらえたことと思います。一般のお客様もたいへん好意的な目で見ていただきました。来年も、当館での職場体験をお待ちしています。

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2006年03月20日

囲碁 天狗会(No.2)

..................................... ..........................................撮影:青少年 山の家
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(前回の続き)
 この日は、天狗会にとって2006年のスタートでもあり、対戦の前に総会が開催された。会をリードするのは熊内輝夫さんだ。彼は、奥上林の公民館館長として先般、このブログでも紹介したマージャン大会の主催者でもあり、奥上林の自治活動では大活躍である。

 天狗会の半数は、中上林で開催されている上林囲碁同好会にも参加されている。また、今年は、初めて綾部市の大会が開催され、それぞれの地域の代表14チームが一同に会し、自慢の腕を競ったそうだ。一方、夏休みになると毎年、都会の子供達が山の家に集まり、囲碁の合宿が開催されるという。長い歴史のある囲碁の後継者は着実に育まれている。

<囲碁一口メモ>
 囲碁は、四千年の昔、中国の聖天子、堯・舜が作ったと伝承されている。農耕技術の発達に伴い、正確な暦(カレンダー)の必要性から天文学が発達し、その知識と当時の思考風土から囲碁が生まれ、諸侯、文化人そして民衆へと伝搬していったそうだ。

 日本には、吉備真備によって紹介されたと言われ、奈良の正倉院御物には見事な碁盤があり、当時、宮中では碁が盛んに行われていたらしい。碁が今日の域に達したのは、16世紀後半に京都寂光寺の僧、日海(本因坊算砂)が現れて、豊臣秀吉や徳川家康の師となり、碁の中興の端を開いてからだという。

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2006年03月17日

囲碁 天狗会(No.1)

................................................................................撮影:青少年 山の家
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2月のある土曜日の午後、奥上林の囲碁仲間である天狗会のメンバー14名が青少年山の家 研修館に集合した。これは、毎月1回開催されている天狗会の例会である。今年で20年ほど続いており、還暦を過ぎたメンバーは益々元気である。我こそ一番という人達の集まりであり、それぞれが天狗などだという。

 会のメンバーは全部で27名、参加者は相手を変えて5局対戦し、その日の優勝者を決めているそうだ。ちなみに、この日のトロフィー受賞者は桜井和成さん、2位長野幸男さん、3位熊内輝夫さんであった。3人が4勝1敗で並び年齢で順位を決めたそうだ。

 そして、毎回対戦の記録をつけ、何時でも自分の順位が分かる仕組みになっている。これらを集計し、年間をとおして勝率の最もよかったものが年間優勝者となる。そこで昇級も決められ、参加者の励みになっているという。また、7月には前期戦、12月には後期戦を開催するなど会の運営や技術の向上にも工夫がされている。

 対戦後は、参加者で夕食を囲んで囲碁談義に花が咲く。共通の趣味をとおし、楽しみを共有する中で相互理解が深まり、気さくな人間関係が育まれる。ここにも、また、上林のチカラがあることを確信した。
(次回へ続く)

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2006年03月04日

マージャン大会(No.3)

................................................................................撮影:奥上林 公民館
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(2月18日マージャン大会No.2の続きです)

<麻雀一口メモ>
麻雀は、中国が唐の時代760年頃、宮中で流行した葉子戯(木の葉遊び)が元祖だという。時代が下がり、明朝の1621年葉子戯が発展した形で、馬吊(マーチャオ)という遊びが完成し、これがマージャンの語源となったそうだ。

1700年代の清朝時代に108枚となり、牌には宗江や呂峻儀、林沖など水滸伝の英雄たち108人が描かれていたという。これに三元牌を加えて120枚そして、風牌16枚を加えて136枚に完成させたのは陳魚門(チン・イーメン)という人である。

彼は、清朝の官吏登用試験をトップで通過した秀才でありながら、いかなる役職も与えられなかったそうだ。当時は太平天国の乱が起きた直後で、賊の出身地に近い陳が当局に警戒されたためだという。彼は、持てる才能を麻雀というゲームの完成に注いだそうだ。

そして、1899年義和団の乱が勃発し、清朝3,000人の宮中人が郷里に逃げ帰ったことにより、麻雀は中国各地に広まった。これが、マージャンが日本に伝わる大きなきっかけになったという。

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2006年02月18日

マージャン大会(No.2)

.............................................................................撮影:奥上林 公民館
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(前回の続き)
奥上林は、JAや小学校がなくなり3,000人近くいた人口は700人となった。過疎化と少子高齢化が進み、次世代を担う後継者も極端に少なくなった。一方、高度成長期に都会へ出た人が帰郷したり、他府県から移り住んできた人も多くある。

本日の幹事である佐々木さんも東北の宮城県から来た人だ。趣味の尺八や野菜づくりをしながら地域社会に溶け込み、公民館役員としても頑張っておられる。気さくで明るく、一度はお酒を飲んで語り合ってみたい人である。他所から来た人は、異なる気質や感性を持っておられ、きっと新しい風を吹き込んで頂けることだろう。(次回へ続く)

<麻雀一口メモ>
マージャンは大正時代に中国から入ってきた。そして、昭和30~40年代の高度成長期には、サラリーマンがゴルフと共に接待や商談、社内のコミュニケーションとして大いに活用した。43~44年には七対子(阿佐田哲也)が週刊誌に連載した「サラリーマン麻雀実戦訓」と「麻雀放浪記」は大好評となった。45年には「麻雀新鮮組」を結成、囲碁や将棋の棋士のように芸としての麻雀をアピールし、昭和の第二次麻雀ブームはいっそう発展したという。

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2006年02月13日

マージャン大会(No.1)

..................................................................................撮影:奥上林 公民館
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 2月初め、奥上林の公民館行事として第4回 新春マージャン大会が開催された。参加者は3卓12人、あやべ温泉からも2名が出席し、地域の人達と楽しい一時を過ごした。ちなみに、優勝は岩鼻馨さん,
2位 長野幸雄さん、3位 岡本志津雄さんであった。

 都会のマージャン店にある椅子に座っての自動機と違って、ホームこたつを持込んで畳の上での手混ぜであり、半チャン4回が体力の限界でもある。参加者も、日本の高度成長期を支えてきた還暦前後の人たちが大半だ。

 奥上林では、この時期になると毎年マージャン好きが集まってゲームを楽しんでおり、それが発展して3年前から公民館行事の一つに組み込んだそうだ。いろいろな行事や催しが地域社会のコミュニケーションを図り、相互理解を深めながら共同体である自治組織を支えている。(次回へ続く)

投稿者 ryokudo : 09:03 | コメント (0)

2006年01月01日

黒谷の和紙

 11月6日、十倉名畑町の旧口上林小学校の校舎を利用した「黒谷和紙工芸の里」がオープンした。館内には、流し漉き工房や日本/世界各地の和紙製品サンプル展示場、和紙商品の即売場などがあり、初めて訪れたものを楽しませてくれる。また、紙漉き体験もでき、紙漉きの面白みや難しさも知ることができる。
............................................................................撮影:黒谷和紙工芸の里
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 林さんは10年前、京都からやってきた。下十倉の自宅にも工房を持ち、この上林で和紙生産を根付かせていきたいとの想いを熱心に語る。また、受付けの佐々木さん(女性の研修生)は、和紙に魅せられて2年前に大阪からやってきた。若者や第二の人生を見つけようとする人々が集まり和紙の技術習得に励んでいる。

黒谷の和紙は古く平家の落ち武者が子孫へ残す技として始めたといわれている。江戸時代には、旗本領になり数々の奨励策がとられて次第に発展し、京都が近いこともあって京呉服に関連した紙が多くつくられてきた。

 4月からは、園部町にある京都伝統工芸専門学校「和紙工芸科」の生徒を受け入れ、和紙の後継者育成を進めていくという。また、和紙の原料である「楮」の栽培を、この上林で始めたいとの構想もある。黒谷和紙協同組合の福田理事長の想いは尽きない。

<和紙一口メモ>
 紙は、その昔中国で生まれた。日本へは610年、最古の女帝 推古天皇の奈良時代、高句麗の僧「曇徴」が絵の具や墨と共に製紙を伝え、これを聖徳太子が産業として日本各地に広めたという。和紙の技術的特長は「流し漉き」にある。これは、紙漉きのときにトロロアオイやノリウツギなどの植物から採取された透明の粘液(トロロ)を混入することによって生まれた技法である。1000年以上に渡ってその生命を保ち、世界に誇る美しくて丈夫な和紙は、日本人の智恵と工夫によって育まれたのである。


投稿者 ryokudo : 14:45 | コメント (0)

2005年12月12日

岡林 信康 歌祭り2005

...................................................................................撮影:中丹文化会館
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 11月の中旬、フォークの神様 岡林信康が綾部にやってきた。昨年11月の奥上林小学校の閉校記念コンサートに続いて2回目である。単身、亀岡市馬堀の自宅からやって来た前回と違って、今回は笛の佐藤英史や津軽三味線の高橋稀脩などエンヤトットのフルメンバー6人が勢ぞろいし、愉快なトークを交えながらにぎやかで華やいだひと時であった。

 ひときわ大きな拍手で迎えられるのは、何といっても村の常会をテーマにした「仁義なき寄合い」だ。上林の人達にとっては、自分達の体験だけに歌詞が良く分かるし、ストーリーがたいへん面白い。全国どこへ行っても大好評とのことだ。

 60年代後半、歌謡界へ彗星のごとく登場し、フォークの神様と呼ばれた岡林さんが奥上林にやってきたのは1972年の秋。労音を中心とした歌手活動の中で様々な人生の試練に遭遇し、自分自身を見つめ直すために田舎暮らしを決心したという。

 奥上林の栃村で野菜や米づくりをし、村の人達とも交わりながら4年間の