| ●裕之さんの歩いてきた道
1968年、京都市に生まれた水田裕之さんは、岩手大学農学部畜産学科に進学。卒業後、岩手県の農業高校に4年間勤めた。
在学中から有機農業に関心をもつようになる。農や持続可能な暮らしに関心をもつ人の様々なネットワークもできた。『一条ふみさんの自分で治す草と野菜の常備薬』(自然食通信社)で有名な一条ふみさんもそんな一人だ。
多くの出会いのなかで、「就農」を志すようになる。岩手を含め、各地で就農先を探すなかで、故郷にある京都府農業会議の紹介で、京都府久美浜町(現・京丹後市)で就農することになった(和牛の飼育と畑作)。
冬場には「百姓出会いの会」など、交流イベントが開催される。久美浜で農業を始めてからユニークな多くの仲間とさらに出会うようになり、北近畿に魅力を感じるようになった。
そして、さかえさんとの運命的な出会いがあり、結婚。綾部へ移住し、現在は「自給+α」の農業をおこなう。
大学時代、教育実習に赴いた高校の恩師の縁で,ソーセージ工房(京丹後市)を毎週手伝う。農学部時代に得た資格を活かしたものだ。また、農業高校の非常勤講師として、教壇に立ち、若い世代に農の魅力を熱く語っている。
●さかえさんの歩いてきた道
1966年、西宮市に生まれたさかえさんはOLのころ、登山に目覚め、日本アルプスなどに通う「山女」だったという。
その後、「友禅」の仕事をするが、「手織」にも興味が湧き、新潟や島根で技術を学んだ。新潟や島根での暮らしがさらに人生を変えていくことになる。
憧れていた田舎暮らしをするため、祖母の住む京都府福知山市(綾部市に隣接)に移住し、アルバイトをしながら手織りをするという生活を始めた。さかえさんは染色に使うため、タマネギの皮も大事に保存をした。暮らし自体がアートになる。そんなライフスタイルをめざしていた。
山への思いもあるなかで、女性に門を開いていた舞鶴の森林組合で1年間、山仕事をおこなう。ちょうどそのころ、裕之さんと出会い、結婚することに。さかえさんは2002年5月、今度は綾部へ移住することになった。
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